2、3月ごろに無性に実家に帰りたくなった。
急に。
でも、いつのまにかその感情は消えていった。
今思うと、帰っていればよかった。
先週水曜日の夜行バスに乗って、実家に帰った。
「5ヶ月間がんばってきたごほうびに」、と彼に言われたから。
ラッキーに会うのを楽しみにして帰った。
そしたら、大変なことが起きていた。
実は、2月5日に母が家の階段から落ち、首の骨を折った。
頭からたくさんの血がでて、即緊急入院。
「星野富弘さん」と同じ状態のけが。
1ヶ月の入院生活を経て、退院。
その間、父は2ヶ月会社を休み、母の看病をした。
病院には毎日顔を出し、母の世話。
退院後も。
毎朝4時20分におきて、ラッキーの散歩。
食事の用意、買い物、洗濯、掃除。
片道2時間の通勤時間。
とてもしんどかったと思う。
誰にも弱音を吐かず。
「お母さんは、お父さんの太陽なんだから、笑ってないと」と、母を励まし。
尊敬する人間、父。
又生まれ変わったら、私の父でいてほしい、父。
そんな父に愛されている母。
「あたしに言うと心配するから、黙っておいて」、と母は父に頼んだらしい。
何も知らずに、のほほんと2月、3月をすごしていた自分が
悔しかった。
何も気づけなかった。
電話で話す母の声は、いつもと変わらず元気だったから。
本当は今週もそばにいたかったけど、
両親そろって、「帰りなさい」といわれたので今朝帰ってきた。
「せっかく宇治での生活のリズムができたんだから、復帰しようとがんばっているんだから、今そのリズムを崩してはだめ」
「お母さんには、お父さんがいるから大丈夫」
「5月末をもって、お父さんは退職するし」、
と言われ。
おととい彼が「お見舞い」に来てくれたから、昨夜一緒に夜行バスに乗って帰ってきた。
母が、生きていてよかった。
それだけで、奇跡。
言語障害もない。
歩くこともできる。
話すこともできる。
気温が低くなると、手がちくちくと刺されるような痛みがある。
まだ首を自由に動かすことができない。
気持ちも弱くなる。
そんな母を見て、
あたしは、
湯たんぽをつくり、背中や腰をさすり、明るい話をすることしかできない。
父の負担を減らすために、
家事、炊事、掃除、ラッキーの散歩、できるだけしてきた。
ごはんとおかずをできるだけ作っておいてきた。
実家にいる間は、
たくさん笑ってきた。
母のいないところで、夜、たくさん泣いた。
母のつらさ
父のつらさを思うと、涙が止まらなかった。
泣きつかれて、頭が痛くなった。
今のあたしにとって、
「彼となかよく暮らすこと」
「元気になって、復職できること」
これが、親孝行なのだと納得し、宇治に帰ってきた。
次は、8月に帰省予定。
ここ3ヶ月で驚異的に回復してるよ。
だから、ゆっくり元気になってね、お母さん。
あまり、無理しないで、お父さん。
お母さんとお父さんをよろしくね、ラッキー。
家族が好き。