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2009年07月26日(日) 
 半年ほど前にも同じ趣旨の日記を書きましたが…。

公平な刑事裁判が受けられなくなる可能性が高まりつつあります。同じ内容の訴訟が状況により結果が変わってくることになりそうです。上訴の度に結果が逆転することが増えるでしょう。

憲法第76条
3. すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

裁判官は憲法や法律にのみに拘束されて判決を下す義務があります。裁判官はそれぞれ自分の人生観、宗教、政治的思想、習慣、歴史観、道徳感、価値判断を持っているはずですが、もし裁判官の個人的なそれらにより判断が影響を受けるようでは、裁判官毎に判断結果が大幅にぶれて、公平な判断ができなくなります。したがて裁判官は自分自身のそれらの偏りに目をつぶって押し殺した上で決定することが憲法で定められています。

 昨年から被害者参加制度、今年から裁判員制度が発足しました。裁判官は被害者の意見を聞くことが義務づけられました。前者は復讐心の強い被害者とそうでない被害者の意見に影響されよ…という制度です。

また裁判員制度は判決には世論感情を持った裁判員にも評決権を与える制度です。裁判官が客観的な判断を独立して行っても、裁判員の感情によって妨害を受ける制度です。選ばれた裁判員によって判断水準が変わるでしょう。

共に憲法と法律以外のものが裁判官を拘束する訳でする

何故裁判の判決に国民感情を取り入れる必要があるのか、それは憲法違反ではないのか、私には理解し兼ねます。

今年6月12日、佐賀地裁で検察官の求刑より重い判決が出ています。被害者やその遺族の心情をどの位勘案するのかも基準なしです。

理由は私には理解できませんが量刑に国民感情を取り入れたいのなら、全国一律に適用されて一律に裁判を拘束する法律で取り入れるべきではないのか。法律は国会で決めるので、国民感情を反映することは可能です。

各裁判の事件毎に決定基準が変わってくると思われ、裁判官の悩みは増えることでしょう。選ばれた裁判員は裁判中は仕事は休むことになるし、宿泊費、交通費、幼児預かりなどが必要で、裁判コストも上昇することになります。判断に迷う裁判員も一票を持っているので、判断結果の品質が低下することは必至です。

これに反対する野党もないのは不思議です。

閲覧数1,684 カテゴリ日記 コメント8 投稿日時2009/07/26 11:06
公開範囲外部公開
コメント(8)
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  • 2009/07/26 11:11
    民事では、賃貸住宅の契約更新料に対して真逆の判断が出てます。

    曖昧な地裁判決だと、最高裁の判断まで長引きますね。
    次項有
  • 2009/07/26 14:23
    MIYUさん
     私は裁判員にはなりたくないなぁ。
     能力不足です。
     おまけに感情的な人間であることは自他ともに認めるところです。

     手相は信じませんが私の手相には頭脳線がなく感情線が深々と刻み込まれています。(お猿さんに多い手相だそうです。)

     その感情そのものも偏っています。

     ある犯罪には不当に厳しくある犯罪には不当に同情的かもしれません。


     でも裁判基準というものが永久不変の原則で成り立っているのならコンピューターでデータを積み上げて行けばすむことですね。

     それは違うぞってことで裁判員制度なのでしょう。

     時代とともに変化(進歩か退歩か知らんけど)していく処罰感情も反映させるってことでしょう。

     政治家を選ぶのと同じように「国民のレベルにふさわしい」判決で裁かれるってことですかね。


     振り返ってあのころの日本の国民はこんな(極端な)処罰感情を持っていた…てことにもなるでしょうね。

     今も同性を愛すれば死刑という国さえあるのでそういう国に生まれて愛してはならない人を愛せば死刑!(これは法律よりも宗教感情でってことでよその国から見れば不思議な基準で裁かれることもあり得るという一例。これらの国の裁判制度については全く知りませんが。)

     卑怯かもしれませんが「かかわりあいになりたくない」というのが正直な気持ちです。

     品質の低下になるかどうかは選ばれた人次第で…私が選ばれればまあ…低下でしょうね。

     妙に自信のある人ばかりで構成されるのもそれはそれでなんだかなあという気持ちですけど。

     ここまで考えて気づいた!

     私は自分自身が裁判員になる可能性までは考えているが
    被告席に座る可能性については全く考えていなかった!

     やっぱりお猿さんのようです。

     
     

     
    次項有
  • 2009/07/26 14:56
    こんにちは!

    以前、検察審査員の一次候補になったと裁判所から書類が送られてきてびっくりしたことがありましたので、裁判員制度にはとても関心があります。

    >また裁判員制度は判決には世論感情を持った裁判員にも評決権を与える制度です。裁判官が客観的な判断を独立して行っても、裁判員の感情によって妨害を受ける制度です。選ばれた裁判員によって判断水準が変わるでしょう。>
    コッチさんがおっしゃるとおりだと思います。

    夏樹静子さんが裁判員制度を考えるために分かりやすく書かれた小説「ひとひらのメモ」を読みました。
    この本を読んで益々裁判員制度に疑問を持ちました。

    本の中の文が心に残りました。
    “古代ギリシャでは裁判官に必要なこととして4つのことが挙げられていたらしい。「親切に聞き、抜け目なく答え、冷静に判断し、公平に裁判すること」と”

    もし裁判員に選ばれても冷静に判断できそうもありません。
    次項有
  • 2009/07/26 23:43
    鉛筆コッチさん
    【とっちゃん】さん

    そうですね。裁判が長いのは品質が低いことになるのでしょうね。そういう意味では、今後は拙だが速にはなるので、品質向上の要素もあるかも知れませんね。
    次項有
  • 2009/07/27 00:21
    鉛筆コッチさん
    MIYUさん

    私も手相を信じてはいません。知能線はどれだか知らないですが、生命線は長いと言われています。三度目のガンは何処にくるかは楽しみですが、手相に関係なく乗り切れるとの予想は持っています。

    裁判での判決の基準は次第に変化しています。「チャタレー夫人の恋人」が有罪なら、最近はそこら中の著作が有罪でしょう。

    時代とともに基準が変化するのは当然ですが、私は選ばれた裁判員毎に基準が振れて欲しくはない…と思っています。量刑は広い幅をもって法律で決められている筈ですが、過去の判例とその前提との関係の変化を学んだ裁判官がその変化を勘案しながらその幅のどの位置を撮るかを判断して欲しいと思っています。その幅で追いつかなくなれば法律の改定です。

    国民感情の変化を裁判員の判断から見るのも一つの手ではありますが、選ばれた裁判員によって異なる結果となり、したがって被告にとって不公平になるのが好ましくないと思っています。


    私が裁判員に選ばれたら…制度への賛否には関係なく参加します。「12人の怒れる男たち」のような経験もやってみたい。

    ヘンリーフォンダの役を演ずるか、だから裁判員制度はダメだ…と思わせるような混乱を起こすことになるかはその時の虫の居所によるので、不明ですが。
    次項有
  • 2009/07/27 00:54
    鉛筆コッチさん
    トトのしっぽさん

    こんばんは!

     どうも今は裁判員に選ばれたら受けるか受けないか…のみが議論されていて、制度の可否が議論されていません。もっと制度の方もまな板に乗せた方がいいと思います。

    米国は民事訴訟でも希望により陪審員制度を採用しています(初めは日本でもそうだったようですが機能しなかった)。

    日本と米国の間で特許係争が盛んに起こった頃、日本では米国での争いでの陪審員制度に不信感を持っていました。アマチュアは日本叩きにかられるだろうと心配しました。今もそんなに変わってはいない筈です。



    私も裁判員の信頼性に疑問を持っています。裁判員も何度か経験して学習してくれれば信頼できるようになるのでしょうが、何度も選ばれるものではなさそうです。

    日本は地裁の他に高裁と最高裁もあって三審制度をとっていますので、最後まで行けば公平性は保たれるも知れませんが、最高裁判決まで行くのはほんの一部のみです。

    悪いことをしたのだから、少々の量刑の不公平くらいは我慢しろ…としても大問題ではないかも知れませんが。

    「ひとひらのメモ」は読んでいないのでコメントできず、申しわけありません。
    次項有
  • 2009/07/27 04:53
    MIYUさん
     キワものかもしれないんですが嘘ではないでしょう。(笑)
    「裁判官の爆笑お言葉集」長嶺超輝 / 幻冬舎 /756円/
     を読むと「品質」って言っていいかどうかはともかく「裁判官」もいろいろって思います。

     「まさか」のお言葉もあったり…(思い出し笑い)

     どんな時代にだれに裁かれるか

     運命としか言いようがないですっていう諦観も。

     
    次項有
  • 2009/07/27 23:56
    鉛筆コッチさん
    MIYUさん

    刑事訴訟ではありませんが、特許にからんで私自身当事者として裁判を何度かやっています。事件の内容が内容だけに、裁判官といっても普通のサラリーマンで、面白いことは何もありませんでした。準備手続きがほとんどなので、狭い部屋で三者が膝を突き合わせて座り、上着を脱いで、さあ始めますか…ってな調子でした。

    そんなに大袈裟に考える程のものでは有りませんでしたよ。

    大岡の裁きのような人情味のある判事には出合ったことはありません。もっとも数ある物語の内で実際に大岡忠相が裁いたのは1件だけだそうですが。後はフィクションか他人のものだとか。
    次項有
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