コッチさん
ご覧になりましたね。
劔岳は「点の記」に記録されない4等三角点だとありました。
それゆえコースそのものもはっきりしていないのかしらと思いました。
映画だけではどこを通ったのかそのコースを知らない私にはわかりませんでしたし。
私はテント担いで馬場島から早月尾根を登っています。
時間をかければ素人にはいちばん易しいと聞きました。
映画の中では「時間がかかりすぎる」として採用されていないコースです。
時間がかかっても安全なコースならいいのではないか?映画を見ながらそんなことを考えていました。
そのころは当然早月小屋もなかったでしょうがBCを移しながら近づいていけば…
しかしただ登攀して済む話ではなくそこにたくさんの資材をあげて測量しなければならないので「経費」の問題もあったのでしょうか。
いろいろ考えていたら山のメーリングリストにこんな書き込みがあり長いけれど引用しておきます。
★★★★★★
Hです。
長次郎たちが登った雪渓はOさんのご指摘の通り、長次郎雪渓の左俣(下から見て左)の雪渓です。ここは事故の多いところです。地元では今年は映画の影響で剱岳を訪れる人が多く、事故も多いのでは…と心配しています。
10年位前、剱岳本峰南壁(映画の中で、測量部の若い奴が落ちたところ)を登って、真砂沢のBCに帰る時に、その左俣を下りました。
お盆過ぎだったので、雪渓は細くなり、1m位の巾しか無く、両側は深いシュルンドが口を開けています。もう1~2日もすれば通行はできなくなります。
中級の生徒さんと先行していたAさんがその細いところで立ち止まっていて、生徒さんの姿は見えません。私はてっきり、生徒さんがシュルンドに滑り落ちたと思って青木さんのところに駆け寄ると「誰かが落ちている。生徒さんは救助を要請するために真砂沢に行かせた。」とのことでした。
シュルンドの中を覗いてみると、男性が岩棚に横たわり岩壁から滝となって落ちてくる水のしぶきを浴びています。
両足を骨折しているようですが、意識はありました。
雪渓の縁はオーバーハングしていて、いつ崩れるかもしれません。ここを負傷者の所に降り、それを担いで、登り直すのは無理で、引き上げてもらうのも、少人数では不可能。救助隊の到着を待つことにしました。陽はすっかり暮れ、風雨も激しくなって来ました。
私の同行者も連日のクライミングで疲労困憊していて、こちらが遭難してしまうのではないかと心配しました。
富山県警の救助隊に無線でその旨伝え、当方は下山すると言ったところ、まもなく救助隊員が到着するから、今しばらく待って救助を手伝ってほしいと懇請され、震えながら、遭難者を励ましていました。
そしてやっと、ヘッドランプの灯りが見え、ぐんぐんと力強く近づいてきて、県警の救 助隊員二名が到着。
手際よく、一名がシュルンド内に下降し、負傷者を担いで私達も手伝って二人を引き上げました。それから負傷者をスノーボートに収容して、前後を確保しながら真砂沢に向かいます。雪渓の上はスムーズですが、雪渓が切れているところや登山道は両側からスノーボートを抱え上げねばならず、大変でした。
日も代わろとする頃、やっと真砂沢の小屋に到着、遭難者を小屋に収容。救助隊員から感謝の言葉がありましたが「明日、天気が悪いとヘリが飛ばないので、負傷者を室堂まで運ばねばなりません。その時はご協力をよろしく。」
明日は晴れることを祈って、私達はテントに戻り、倒れるように眠りにつきました。
翌朝、目が覚めると数人が「今日中に帰らなければならないので下山します」との置き手紙を残して姿を消していました。救助隊員の協力要請におそれをなし、あわてて下山したのでしょう。
その後、ヘリの音がして残ったもの一同、ほっとしまた。
この遭難者は単独で登山届けも出していませんでした。もし、青木さんが気が付かなければ、その後の通行者も期待できないので発見されないままになっていたでしょう。
★★★★★
今も(って10年前ですが)決して安易な気持ちでは登れないと(来年劔沢から登ることを考えてる私は)身の引き締まる思いで読んだメールでした。
長次郎沢とはのちの登山者が彼の力を認めてそう呼ぶようになったのでしょう。
軍と関係なく一案内人の名が冠せられているのはのちの登山者の評価だと思います。
音楽は私には(笑)美しいとしか分からなかった。メロディを脳裏に再現することもできないし。もったいない。
陸軍の威信云々が本当かどうか。同じ新田次郎の「八甲田山」にも陸軍の威信云々が出てくる。新田次郎は陸軍の威信というものに深い嫌悪持っていますね。
>私は物見遊山であってこそ…
今回私は仲村トオル演じた小島烏水にこそ深い興味を持ってしまいました。(ただの仲村トオル好き?笑)