二つの日記にコメントを頂いたので、1件に対応したらもう1件の方を忘れてしまいました。
ご推察の通りです。「劔岳 点の記」の作者と「流れる星は生きている」の作者との間に生まれた人です。
数学者の癖に推測の仕方が非論理的だと非難したかったので、名前を伏せました。
国民の目線で行われる政治について論評する時には、国民の目線で行われた過去の政治とそうでない政治のデータを沢山集めて、それぞれの政治の良し悪しを評価し、国民の目線で行われたものは圧倒的に悪く、そうでない政治は圧倒的に良い…との結果を得てはじめて云えることです。
傾向はなくても目線に関係なく政治は全部悪いのなら、あたりまえの推測になってしまいます。
たかが週刊誌のコラム、とやかく言う対象ではないとも云えるので、「面白い」に変えてしまいました。
「目線」の定義も問題でしょうね。
http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…9&m=11

この場合も国民の為を思う目線と、国民が向いている方向に向かうのかの二つがありますね。国民は自分たちにとって何がプラスになるかを知らずにアジテーションやマスコミの意見に誘導されてそれがが良い…と思い込んでしまう。悲しいですね。
我々の将来は民主主義で進まざるを得ない。個々のケースは兎も角、期待値としてはそれがベストの筈です。後は国民の洞察力に頼るしかありません。皆が政治の中身に関心を持ち、一つ一つのマニフェストの可能性、良否を自分で考えるようになる必要があります。政治に関心が持てず、単なる人気で為政者が決まるのは情けないことです。推せる人がいなければ、投票に行かないか、無効票を入れるのも一つの見識だと思います。投票は権利であって、義務ではありません。
お茶っ人で、はじめに結論ありき…の政治運動をやってはいけないでしょうが、政治的なテーマについて議論することはいいことではないか…と思っています。皆が考える機会を増やすことになります。