年末から正月にかけての風邪(肺炎)で結構痰が出たので、昔よく見た痰壺なるものの存在を思い出し、昔の列車旅行を思い出しました。
痰壺は陶器もしくは琺瑯製のものが、駅のホームやコンコースとか地下道の通路に置いてありました。客車の床にも所々に仕込んであったように思います。蓋が広口の漏斗風になっていて、上から痰を吐き入れていました。もう見なくなりましたね。
昔と云えば大きな駅のホームには鏡のある洗面所が設けてありました。朝になって夜行列車が着くと、乗客はホームに降りてすすけた顔を洗っていました。
赤線の入った帽子をかぶり、首から斜めに掛けた箱に弁当を重ね入れ、列車沿いにウロウロしていた弁当売りもすっかりいなくなりました。箱の前側には小銭をいれる小箱も付いていました。
列車が動き出してからも窓やデッキから「弁当ください」。オジサンが駆けつけて弁当とお金を交換し、場合に依っては小走りしながらお釣りを…。荷物を担いでくれる赤帽もいました。
列車ものんびり走っていましたね。私の山からの帰りは、名古屋で中央線から東海道線に乗り換えて京都までが多かったのですが、名古屋の西側の闇市で夕食を食べ、夜11時名古屋発の鈍行列車が前に4両増結するのに乗りました。列車はゆっくり走り、駅では長く止まっていました。米原で1時間以上止まっていたような記憶。京都には5時頃着きました。駅前の芝の上でウトウトして駅の食堂タワーが開くのを待ち、そこで朝食をとってから下宿に帰る習慣でした。
今よりは味わいのある旅だったように思います。
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