半年ほど前にも同じ趣旨の日記を書きましたが…。
公平な刑事裁判が受けられなくなる可能性が高まりつつあります。同じ内容の訴訟が状況により結果が変わってくることになりそうです。上訴の度に結果が逆転することが増えるでしょう。
憲法第76条
3. すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
裁判官は憲法や法律にのみに拘束されて判決を下す義務があります。裁判官はそれぞれ自分の人生観、宗教、政治的思想、習慣、歴史観、道徳感、価値判断を持っているはずですが、もし裁判官の個人的なそれらにより判断が影響を受けるようでは、裁判官毎に判断結果が大幅にぶれて、公平な判断ができなくなります。したがて裁判官は自分自身のそれらの偏りに目をつぶって押し殺した上で決定することが憲法で定められています。
昨年から被害者参加制度、今年から裁判員制度が発足しました。裁判官は被害者の意見を聞くことが義務づけられました。前者は復讐心の強い被害者とそうでない被害者の意見に影響されよ…という制度です。
また裁判員制度は判決には世論感情を持った裁判員にも評決権を与える制度です。裁判官が客観的な判断を独立して行っても、裁判員の感情によって妨害を受ける制度です。選ばれた裁判員によって判断水準が変わるでしょう。
共に憲法と法律以外のものが裁判官を拘束する訳でする
何故裁判の判決に国民感情を取り入れる必要があるのか、それは憲法違反ではないのか、私には理解し兼ねます。
今年6月12日、佐賀地裁で検察官の求刑より重い判決が出ています。被害者やその遺族の心情をどの位勘案するのかも基準なしです。
理由は私には理解できませんが量刑に国民感情を取り入れたいのなら、全国一律に適用されて一律に裁判を拘束する法律で取り入れるべきではないのか。法律は国会で決めるので、国民感情を反映することは可能です。
各裁判の事件毎に決定基準が変わってくると思われ、裁判官の悩みは増えることでしょう。選ばれた裁判員は裁判中は仕事は休むことになるし、宿泊費、交通費、幼児預かりなどが必要で、裁判コストも上昇することになります。判断に迷う裁判員も一票を持っているので、判断結果の品質が低下することは必至です。
これに反対する野党もないのは不思議です。