korochanさん
何度でも大歓迎です。
>中には、遺族たちとの関係で、お参りされてる方々も多いと思います。いわゆる「私、お参りにきたでー」です。
だからいやーな気分になるのです。故人には無関係に来る人たちです。私の職場の人の場合、記帳だけでは見落とされることを心配するのでしょう、わざわざ私の前にやってきて、「仕事のことは心配しなくていいからね」。お前が私の代わりにやるのなら、これは心配だわ…。
てんてこ舞いの遺族のお手伝いに来てくれる人たち。参加者を絞ればお手伝いは不要です。
>故人が余命いくばくもないとわかった時点で、まだ頭がしっかりされてたら、何らかの方法で、お礼とかお別れを告げられたらいいと思います。
死ぬ前には喧嘩していた相手には特に告げにくいですね。私は終わりが近いと思えば、周囲の人たちへの生前の付き合いへの謝辞を書いておき、忌み明け後に発送することを依頼しておこうと思っています。その後も生き続ければ、二人の関係も変化して来るでしょうから、時々訂正が要るでしょうね。それによって相手のことを考える時間が増えて、自分の中での相手がより濃厚な関係となり、意味深い余生になると思います。何人分書けるかですが。
感謝の気持ちをより表したい人から順番に書くことになるのでしょうね。
>義父の「りっぱな葬式やったで」で、いったい誰が満足するのでしょう。
私が考えるように来世がないなら、葬儀内容を知り得ない本人でないことは確かです。葬儀をやったかどうかも知り得ない。
立派な葬儀をやりたければ、自分で資金を出して、自分で生前葬をやればいい。
私の葬儀考です。