放屁した瞬間、ふと頭に浮かんできました。これってどういう作用なのでしょうかね。何十年間、毎日何度も放屁しているのに思い出したのは初めて…。記憶神経に電気のノイズ電流が流れてそれによる刺激でもあったのでしょうかね。それとも意識はしなかったが、チラッと読んだか聞いたかしたのかしら。
昔はかくれんぼ、特に缶蹴りでよく唱えました。10を1から順に数える代わりです。
(地方によっては缶蹴りが通じないかな。何なら下記の遊び方の説明の欄へ。)
普通のかくれんぼは我が孫達が我が家に来た時にやっているのを見ましたが、缶蹴りは知らないでしょうね、最近は適当な空き地が見当たらない。
何故ぼんさんなのでしょうね。
昔、寺院で肉食が禁じられていた頃、肉を食べると屁が臭くなる事から、『おならが臭い』→『坊さんなのに肉を食べた』という考えから『坊さんが屁をこいた』という言い方が出来た、という考察があるようですが、私には賛成できません。
後に大勢の信者を座らせ、経壇で真面目くさってお経を挙げている最中にうっかりプーッとやった時を想像して面白いから流行ったのだと思います。
京都では、「ぼんさんが へをこいた。 においだら くさかった」があるそうで、これは20に相当…だとか。。
「だるまさんがころんだ」
達磨が面壁九年の座禅によって手足が腐ってしまったという伝説から起き上がり小坊師ができた…とか。
その他10を数える代わりの言葉は幾つかあるようですが、聞いた記憶はありません。
「インディアンのふんどし」(関東地方)
「兵隊さんが通る」
「くるまん(の)とんてんかん」(宮城県)
「乃木さんは偉い人」
「インド人の黒ん坊」(九州中国四国地方・石川県)
「寿がきやのやきうどん」
「ひみなこと(5文字と短いためか、唱える回数が決まっていない)」(和歌山県)
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【缶蹴り】
鬼を1人、または複数決める。これによって参加者は鬼とそれ以外に分かれる。
最初に隠れられる範囲を決めておくことも多い。
缶を置く場所を決定し、缶を置く。
チョーク(または小石など)で地面に円やバツ印を描き、缶の置き場所を規定することもある。
このとき、缶の周りに半径5~10m程度(子供達のキック力に応じて変化をつける)の円を描く形式がある。
鬼以外の誰かが缶を強く蹴る。
このとき、缶の周りに描いた円周を缶が超えない場合は蹴った者が鬼になる。
鬼が缶を規定の位置に置き直し、いくつか決められた数を数え終わるまでに鬼以外の者はどこかに隠れる。
数を数えない場合もある。
置きなおす際に手を使ってもよい規則と、足のみで缶を運んで立てなければならないものとが存在する。
足のみで運んで立てる場合は十分に時間が経つため数は数えないことが多い。
このとき缶を立てた後、必ず一度鬼は缶の周りに描いた円周の外に出ないといけないとする様式がある。(缶のそばで鬼がずっと離れないとゲームが進行しない場合があるため)
鬼は隠れた者を探す。見つけた場合、その者の名を大きな声で呼び、缶の所に戻って缶を1度または3度踏み付ける。見つかった者は缶の付近の決められた場所に捕われることになる。
この際、缶を誤って倒してしまうと、缶をけられたことと同じになってしまうとする取り決めが成される場合もある。
また、踏みつける際に名前を叫ぶ場合もある。
この時、名前の後に、「ピー」や、「ポコペン」、「ケント」、「デン」と付けることもある。
このとき鬼は缶の周りに描いた円周外に必ず一度は出ないといけないとする決まりの場合、一度に何人までコールできるかを決めておく必要があり、その規定以上の人数をまとめてコールできない(一度円周外に出れば次のコールができる)。
ただし、鬼はまだ見つけていない者に缶を蹴られないようにしなくてはならない。缶をけられた場合、捕われていた者はまた自由になり、缶けりは振り出しに戻る。
このときにも、缶の周りに描いた円周を缶が超えない場合は蹴った者が鬼になるとする様式もある。
その他、様々な取り決めで捕らわれていた者が自由になる場合もある。
鬼が隠れている全員を全て見つけるか、あるいは見つけられず皆が飽きてしまった場合に缶けりは終了となる。