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2013年05月23日(木) 
   幼い頃、一人で山に入って火を燃やしながら自分の心に宿った面影を夜一人で偲ぶ…なんていいなあ…と思ったこともあるようです。

   実際に登山をしていて単独行が多かった私には一人っきりで夜の山を過ごすことが何度もありましたが、登山ではへばっていることが多いので、そのようなロマンチックな思い出の記憶はありません。

   登山目的ではなく、誰かを偲ぶことを目的として、苦労なしに入れる山を選ぶべきでしょうね。昔は単独行での幕営と云えば居心地の悪いツェルトでしたが、今は一人で楽に組み立てられて軽いテントが売られているようです。


   一人っきりで山の夜を過ごすことはその時々の状況にもよりますが、面白い経験です。今からでもいいから思い出しながら記録しておこう…と思います。まずは木曽駒ヶ岳です。

   何時だったろう。1953年位の4月か5月、中央アルプスの駒ヶ岳(西駒、木曽駒)に一人で出掛けました。山の道具は進駐軍の放出の羽毛寝袋(朝鮮戦争で死体ヲドライアイスと一緒に日本に送る時に使用した…と云われている)、固形燃料、コッヘル、飯盒。あとは父親がヤミ食品の買い出しに使っていたドンゴロスのリュックとやはり父親の兵隊靴。皮の靴底には鋲などは打っていないのでツルツル。

   上松駅から入った山の麓にはコブシの花が満開でした。

   金懸小屋を過ぎたあたりから所々に雪が残っていました。どこまで行ったか、2,400米位まで登っていたのか、道は細い尾根を通らず右に捲いて雪の斜面に消え、その斜面の向こう上方に続いているのが見えていました。

  このような場合は安全のために道を離れて尾根を行くべき…なんて知恵はその当時はまだありませんでした。落ちていた何かの枝を杖にしておずおずと雪の斜面をトラバース。斜面幅の三分の一も過ぎたでしょうか、足元の雪が崩れて、下方に横滑り。滑りながら俯せに身体を回して、持っていた枝を雪面に懸命に突き刺しました。少し勾配が緩やかになった所で、止まりました。

   さて、そこから下に行くべきか、上に戻るべきか。下の谷沿いに踏み跡があるかどうか、また雪の状況も不明なので、上に戻ることにしました。道までどの位の時間がかかったか、記憶はハッキリしませんが、もう薄暗くなっており、疲労困憊していました。無人ではあるが屋根のある金懸小屋まで降りて行くと快適な夜が過ごせるだろうが、もうそこまでに元気はない。

   道が林の中を通る所までおりて、道の真ん中で寝袋を出してビバーク。道端の雪をコッヘルにとって固形携帯燃料で溶かし、夕食としました。まだインスタントラーメンなどまだ世にない時代、何を喰ったのかの記憶はありません。

   鼠でもいたのか、夜中に目が覚めると寝ている枕代わりの丸めたリュック横で何か動物がボリボリ何かを喰っている音がしていました。私は乾パンで夕食にしたのだったかしら。

   朝、荷物を片づけて道を下っていくと、昨夜は金懸小屋で過ごしたのでしょう、キスリングを担ぎ、後にピッケルを指した、ほんものの登山スタイルの人が一人で登ってきました。私を見て怪訝な顔をしていました。西駒の頂上から下ってくる時間帯ではないのに…と思ったのでしょう。私は今日は!とだけ云って通り過ぎました。

   麓まで降りて満開のコブシの下でタップリ昼寝をしてから上松駅に下りました。結構充実感があったような…。

閲覧数1,653 カテゴリ日記 コメント10 投稿日時2013/05/23 16:40
公開範囲外部公開
コメント(10)
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  • 2013/05/23 20:38
    NOSSYさん
    懐かしいお話ですね。
    若いころを思い出しました。
    私も初めのころはほとんど単独行で、加藤文太郎にあこがれて兵庫県の香住から冬の氷ノ山を縦走して雪の中でビバークした思い出があります。

    夏は徳沢から梓川沿いに槍ヶ岳に登り、当時から表銀座と言われていた奥穂、前穂を経て上高地へ降りました。山小屋泊まりのつもりが最初の槍への急登でばててしまって、8合目の急斜面の大きな岩の下でビバークというより野宿をしました。
    その時に見た満天の星空は今も忘れられません。

    そのご北、南アルプスや八が岳、白山などめぼしいところも楽しみましたが後半は気の合った2~3人の仲間が一緒でした。

    その仲間たちとは今も年に1~2回逢って酒を酌み交わして青春時代に帰っています。
    次項有
  • 2013/05/23 21:35
    山での色んな経験、懐かしいですね。
    私が初めて北アルプスに入って裏銀座を歩いたのは高2の時、山小屋泊まり
    ですが、学校の友人どうし3名での経験で、
    その年の冬には別のメンバー4名で京都の北山や愛宕山で4人用のテント持参
    夜には雪が降り出し、朝には積もっていました。

    単独での野宿は半世紀前にバイク旅を始めてからですね、
    あちこちへ行きましたが、記憶に強く残っているのは、岡山県の山中で、
    のちょっと怖い現象(なんてことはないんですが)と、何事も無かったけど
    青木ヶ原に潜り込んでの野宿、GWなのに冬用の装備でも寒かった経験。
    いい思い出です。

    カブ
    次項有
  • 2013/05/23 23:24
    鉛筆コッチさん
    NOSSYさん


    皆さん、色んな思い出をお持ちで…。

    私が加藤文太郎を知ったのは、サラリーマンになってからです。彼の真似をして、甘納豆と炒り子の唐揚げをポケットに入れて、専ら雪洞利用で冬の北はルプスを横断して見たい…と思ったこともありますが、サラリーマンには無理のようです。

     彼は確か川重の社員だったと思いましたが、会社をサボって行ったのでしょうかね。
    次項有
  • 2013/05/23 23:33
    鉛筆コッチさん
    岬のカブさん

    カブさんもいい思い出をお持ちですね。

    これもかなり後で知った串田孫一(雑誌アルプの編集者)の真似をして一人で山に行って笛を吹くのもいいな…と木製のブロックフレーテを買ったりしましたが、練習不充分で終わってしまいました。

    カブさんのようにオカリナにすれば気軽に吹けたのでしょうか。

    一人の夜を過ごすと、翌日人に合うと実に懐かしい思いがします。
    人は独りぼっちでは生きていけない…などと思いました。
    次項有
  • 2013/05/24 09:13
    アトさん
    昔、コッチさんから南アでの単独行でのお話は聞いたことがありましたが、木曽駒でのビバーグの件は初めてです。これで怪我でもされていたら遭難もんでしたね。山での経験談、期待しております。

    幸い、小心者の小生にはビバーグの経験はありませんが比良に通いはじめたころにヤマモモの滝から縦走して蓬莱山から東に下るところを、雨の中だったので反対方向に下ってしまい、必死になって戻り、夜遅くなって帰宅したことがありました。それ以来、磁石を見る習慣になりましたけれど。

    山は単独行で始まって単独行で終わるって聞きましたがどうなるかしら。
    次項有
  • 2013/05/24 10:58
    鉛筆コッチさん
    アトさん

       おはようございます。

       南ア単独縦走は西駒の4年程後の山行きです。このころはもう一人前の装備と自信を持っていましたね。能力の程は判りませんが…。

       最近は磁石よりもGPSのようですよ。

    >山は単独行で始まって単独行で終わる
       スポーツ派と人生派(哲学派?)で異なるのではないかしら。
       スポーツ派なら先ず山岳部に入るのでしょうね。
    次項有
  • 2013/05/24 16:20
    こんにちは!

    よくご無事で~って今頃に言っても意味ないですが(笑)
    いい思い出として残ってよかったです。

    木曽駒ガ岳は3~4回眺めています。
    駒ヶ根からだと今は千畳敷までならロープウエイで楽々上がれますし便利になりました。
    それ以上は本格的な登山ですよね。
    私は千畳敷のお花畑で大満足です。

    5月に中央線のしなの号から雪の木曾駒ガ岳を見ました(宝剣岳も)
    上松から木曽福島の辺りは一瞬ですが見えるんです。
    次項有
  • 2013/05/24 16:36
    鉛筆コッチさん
    よっちゃんさん

    こんにちは!

    千畳敷のロープウエイとホテルは年中営業していますから、冬に行けば雪景色の中に入れます…と云っても私も晩秋にいったことがあるだけですが…。

    中央線にはもう何十年か乗っていませんので、木曽駒が見えたかどうかも記憶になく、よっちゃんさんの日記にもそうコメントしましたが…。見える場所を憶えていて構えていないと見えないのでしょうね。木曽駒よりは宝剣の方が格好いいだろうと推測しますが…。





    次項有
  • 2013/05/25 14:27
    MIYUさん
     ああいい話ばっかりだな。

     私は50過ぎての手習いですし青春の熱い血潮とともに思い出す山なんかいっこもなくて羨ましい限りです。

     冬山日帰り単独行さえ足の骨折ごときで恐れをなして(一人だったら死んでいたな)思いとどまりました。世の流れは暴走老人には厳しく中高年登山者は誰にも迷惑をかけずにおとなしく登ることが求められています。(誰に?)

     金を使って最新装備を身にまといガイドに従って山の神秘を垣間見ることくらいがゆるされた範囲です。

     身の程をわきまえ指をくわえて聞くお話です(笑)

     単独テント山行の人も今は許されたテント場に料金を払ってテントをはるだけですね。
    次項有
  • 2013/05/25 15:41
    鉛筆コッチさん
    MIYUさん

    若い頃の登山は確かに思い出にはなります。

    しかし後期高齢者になった今は、思い出よりは現在の楽しみの方が欲しいです。三浦雄一郎氏のようにエベレストに登れる必要はないが、せめて2~3泊の小屋利用の装備を担いで標高差1000米位は登れるようでありたいです。

    山の頂上での一服が旨い…などとほざいて仕事中も煙草ばかり吸っていて、今になって後悔してももう何ともなりません。自業自得です。

    私も身の程を辨えて、人の登行記を読ませて貰って楽しむだけです。

    私にはMIYUさんが羨ましいです。
    次項有
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