1,437万kW/2,326万kW (07/05 02:05)
61%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1084195
2013年12月29日(日) 
   福岡高等裁判所は佐賀地裁の一審判決を支持し, 2013年12月20日までに開門調査を命じ(2010年)、確定している。一方、福岡高等裁判所の下級裁判所である長崎地裁は開門調査の差し止め仮処分命令を今年出した。いずれも被告は国。

   福岡高裁(佐賀県の漁業関係者が原告)は「水門を開けろ」と命令し、長崎地裁(長崎県の農業関係者が原告)は「当面開けてはならない」と命令したわけである。
国は動けなくなっている。林芳正農相は12月20日開門調査を断念。
国が確定判決に従わない…という法治国家 とは言い難い事態に陥った。

   素人考えでは一方は高裁による確定判決であり、他方は地裁による仮処分だから前者が優先されるべきもののように思えるが、いずれを優先するか明確な取り決めは無いそうである。

   このような事態に陥ったのは高裁の確定判決の実施を3年も開門調査を怠ってきた農水省の責任が大きいが、法律にも欠陥があると私は思う。

   そもそも漁業・農業・国の三者が絡むのに、裁判は漁業v.s国、農業v.s国の争いであって、漁業と農業が同一の土俵に上がっていない。二者ずつの争いとしたのではこのようなことは当然にあり得ることである。

   本来は漁業関係者と農業関係者との争いである。このような場合は漁業関係者が原告の場合は農業関係者を、農業関係者が原告の場合は漁業関係者を、参加させるように法律で義務づける取り決めがないことが問題だろう。また確定審決と仮処分が矛盾する場合、確定処分が優先されることを明確にするべきだと思われる。

   立法はこのようなケースも想定しておくべきだった。この法の欠陥のために国は矛盾する二つの敗訴でどうするわけにも行かない。

   仮処分にはいずれ本訴が起こされるだろうが、その時は漁業関係者は当然に訴訟参加するべきだし、裁判所もそれを命ずべきだろう。この長崎地裁の判決に対する上訴は当然に福岡高裁(佐賀地裁の上級裁判所でもある)になされるので、2010年の確定判決と矛盾する判決を出せないと思われる。

   開門派は確定判決を護らない農水省に1日当たりほぼ1億円の制裁金を求める訴え(間接強制)を12月24日佐賀地裁に起こした。

   無責任野次馬としては面白くて目が離せない。

    …………………

立法の想定能力  ①性転換者の親子関係
http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30

立法の想定能力  ②一票の重み裁判
http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30


閲覧数1,352 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2013/12/29 06:35
公開範囲外部公開
コメント(4)
時系列表示返信表示日付順
  • 2013/12/29 17:56
    だいたい干潟を干拓して農地を作るアホな事業
    公共事業をしたかった事が、現在の喜劇的な悲劇を生んでます。
    農地は、全国で余るのに費用対効果が、全然無いし
    入植してしまったから漁業と農業の対立を招いてしまった。
    アホな政治家が、根本的に悪いもん。
    次項有
  • 2013/12/29 21:53
    鉛筆コッチさん
    【とっちゃん】さん

    数十年前の食糧難時代に考えられた構想を実現化したものですが、前提となる食料事情が変わっても止めなかった行政側に根本的な問題があるのでしょうね。農業族議員の存在の弊害もあるのでしょうし…。

    また、お役所は先輩達の行為を批判して変更する…なんてことはやろうとしない悪癖があるようです。民間の改善活動を見習うべきです。
    次項有
  • 2013/12/30 23:25
    コッチさん

    諫早湾干拓というとあのギロチン水門の衝撃的な映像が思い出されますが、その
    本質的な問題がどこにあるかまで考えたことはありませんでした。

    今回の話題提供を機にネットで少し経緯を調べてみましたら、恐ろしいくらいにあほ
    らしい経緯で、ずるずると公共事業が進められてきたことを知り愕然としました。
    本質は典型的な一度予算を取ったら絶対後戻りのない「政・官・民の癒着による公共事業費の無駄遣い」と
    知りました。
    この事業の推進に関わった農水大臣は実に40名超にのぼり、誰一人責任を取ったこと
    はなく、まして企画推進する役人ももちろん責任など取ったものはいない。
     
    ある人に言わせると「給料でブルドーザーを買ってきて、自宅の壁に穴をあけてる
    ようなもの」と嘲笑した解説もありました。
     
    高度成長期の同じ時代を駆け抜けてきた我々の時期、このような行政、統治機構で壮大な無駄使いがなされていたかと思うと複雑な思いになります。
    次項有
  • 2013/12/31 11:37
    鉛筆コッチさん
    テッシーさん

     >一度予算を取ったら絶対後戻りのない「政・官・民の癒着による公共事業

       これを許した国民側にも責任の一端はあるのでしょうがね。

       八ッ場ダムではかなり工事が進んでから、中止を決めたり、その後また中止することを中止したり、フラフラ…と。しかし一応反省があったことで、プラス評価をした方がいいのかも知れません。
      
    次項有
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
コッチさん
[一言]
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み