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2012年12月29日(土) 
   この羅漢さん(写真5枚)、日と時間を変えて撮っています。シリーズ④の人と同様自分の心を見てもいるようですが哀しみの表情に怒りも少し混じっている気配。したがってシリーズ④の羅漢よりは外界に向かっての意思が感じられます。

   この表情そのものとは無関係ですが、これを見てある知人を思い出しました。別にこのような深淵な表情をしている訳ではありません。もっと世俗的でにやけてはいるが顔かたちがどこか似ている。

   彼もリタイアして同じ町に住んでいますが平素連絡を取ったこともなく、本人に意見を聞いても自分の顔のことはよく判らんだろうし、自惚れられても困る。共通の知人の意見を来てみよう。

   五百羅漢の中から知った顔を捜すことは時々行われるようで、島崎藤村著「桜の実の熟する時」の小説の一節にも出てくるとか。


最初のタイトル・ページはなくもがな…ですが、youtubeで高画質かつ全画面表示に設定すると、写真がクリアーになるまで10数秒ほどかかるので、それを隠す積もりで入れていますので悪しからず。




…………………………………

【島崎藤村著「桜の実の熟する時」の小説の一節】

 興津の清見寺だ。そこには古い本堂の横手に丁度人体をこころもち小さくした程の大きさを見せた青苔の蒸した五百羅漢の石像があった。起ったり坐ったりして居る人の形は生きて物言ふごとくにも見える。誰かしら知った人に逢へるといふその無数な彫刻の相貌を見て行くと、あそこに青木が居た、岡見が居た、誠之助が居た、ここに市川が居た、菅も居た、と数えることが出来た。連中はすっかりその石像の中に居た。捨吉は立ち去りがたい思をして、旅の風呂敷包の中から紙と鉛筆とを取出し、頭の骨が高く尖って口を開いて哄笑して居るやうなもの、広い額と隆い鼻とを見せながらこの世の中を睨んで居るやうなもの、頭のかたちは円く眼は瞑り口唇は堅く噛みしめ歯を食いしばって居るやうなもの、都合五つの心像を写し取った。五百もある古い羅漢の中には、女性の相貌を偲ばせるやうなものもあった。磯子、涼子それから勝子の面影をすら見つけた。

シリーズ
① ツワブキの傍らで読書http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30

② ハツユキカズラ縛り?http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30

③ 自分の心の中を見つめるhttp://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30



閲覧数720 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2012/12/29 11:01
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