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2022年09月16日(金) 

 

>東洋経済オンライン   >日本がロシアの研究レベル低下から考えたい難題 世界が「学問の自由」を守り続けるのは一体なぜか   > 中谷 安男 2022/09/16 11:30  

 (略)  

>今のウクライナとロシアの大学から日本の課題を考える全3回連載。   

>第3回はロシアの大学の地位低下と、その状況を踏まえ、日本の大学の現状について話を進めます。   

>研究の自由がなくなると ロシアにプーチン大統領が誕生してから、研究の統制が強まります。

>第1段階は、政府の方針に沿わない研究者や機関に少しずつ圧力をかけ始めました。   

>自由な議論を行うアカデミック界で、政府の外交方針などに従わない学者を標的にします。   

>公的な機関での身分を外し、地位を下げ発言を押さえます。   

>そのうえで、研究者に政策の過ち等を指摘させないように仕向けます。   

>第2段階は、財政的な締め付けです。   

>ソ連邦の崩壊以来、すでに大幅に研究費が削減されていました。   

>さらに政府の意向に合わない研究は支援を打ち切ります。   

>この大義に使われたのが、2012年の教育改革です。   

>「重要な研究への重点的予算配分」とします。   

>ところが、この方針や配分の決定は政府役人で、研究には疎く「俯瞰的な見方」はできません。   

 

政府の役人は研究に関係ない人ですね。   

 

>テーマの重要性よりは、方針に合う研究の援助が任務で、それ以外は予算から排除されます。

>第3段階は、研究の自由の大幅な抑制で、研究そのものを妨害します。   

>ロシア政府の方針に沿わない研究者は雇用されなくなります。   

>また、西側に関係のある研究機関は閉鎖されました。   

 

研究の本質に関係ない人たちによる研究行政ですね。無謀な無免許運転のようなものか。    

 

>各大学のトップは、研究実績のある研究者の代表ではなくなりました。   

>政府にとって有能な実務家が、高給を得て管理や経営に当たっています。   

>彼らの主な役目は、政府の目標達成と、不穏分子の粛清です。   

 

そうですね。政治家は政敵から目がはなせませんね。ロシアの政治には、暗殺と粛清と皆殺しは付き物ですからね。   

 

>今では、海外の学会や雑誌に、研究成果を発表する際は、事前に内容の申請を受ける必要もあります。

>これらの政策がアカデミック界にどのような影響を与えるのでしょう。

>ソ連邦解体の1990年に比べ、研究者数は約3分の1に減りました。   

>まず世界レベルの研究者が、より自由な環境の海外に流失します。   

>また、経済的に厳しい研究職をやめ、実業界に活躍の場を求める者も増えます。   

>独自の研究をするという夢を描けない道を選ぶ若者も減りました。   

 

それは自由を圧迫すると当然起こる社会現象ですね。   

 

>大学統制の結果は、研究レベルの著しい低下となります。   

>1990年代は、最高レベルの論文の世界シェアは6位でしたが、次第に順位を下げ、2012年には15位まで落ちてしまいました。   

>また、かつて世界トップレベルの大学がありましたが、2016年には100位以内の大学はなくなりました。   

>このような状況では、独自の研究成果を活かしたロシア発のイノベーションは起こりにくくなっています。   

>エネルギー資源以外の、技術開発に基づく産業の発展は一層困難です。

 

素人衆ばかりで、ロシアの船が山に上がりますね。   

 

>ウクライナ、ロシアの大学の課題から、日本の研究者に起こった日本学術会議の会員の任命問題を考えてみます。

 

ロシア、ウクライナは、日本人にとって他山の石ですね。    

 

>これは1949年に設立された内閣総理大臣の所轄の特別機関で、政府や社会に科学の立場から提言を行います。   

>また、学術機関の日本代表で、主要な学会の国際交流を促進しています。   

>グローバルな観点から、日本の研究力向上や技術革新を推進する重要な役割を果たしてきました。   

>歴代のノーベル賞受賞者も、この組織の名誉会員になっています。   

 

それは結構なことですね。   

 

>会員は各研究分野を代表する、210名で構成されています。   

>3年ごとに半数の105名が日本学術会議より推薦され、首相に任命されます。   

>中曽根康弘・元首相が1983年に明言したように、その活動や人事は政治から自立して運営することになっています。   

>国の学術会議法に、自立した機関であることが明記されています。   

>会員の任命は形式的なものにすぎない、というのが長年の法の解釈です。   

>法的な「任命」には、他に内閣の下級裁判所裁判官の任命や、天皇の総理大臣の任命がありますが、いずれも形式的な手続きです。   

>そもそも何が起こったのか   

>2020年に半数の105名が推薦されたのですが、当時の首相は6名を任命せず欠員ができました。   

>この問題の観点は、手続きの不備と、不十分な説明の2つです。   

>1つ目は、公的な慣習の基となる法律解釈の大きな変更なのに、適切な議論や手続きが行われませんでした。   

 

それは関係者の怠慢ですね。   

 

>1983年という「昔に約束したことだから、時間がたてば変わる」と、言う方もいます。   

>残念ながら、これは契約や法律の基本概念を理解していない発言でしょう。   

>契約は、生物とは異なり、時代が変わっても劣化しない「普遍の記録」となります。   

>神と人間の最初の契約と言われる、旧約聖書の「モーゼの十戒」以来、一度、結ばれたものは、ずっと効力があります。

 

書いたものは斧でも切れない。    

 

>例外は、正式な手続きを持って修正する方法です。   

>問題の2つ目は、法の解釈を変更する根拠です。   

>なぜ、任命を拒否したのか、説明を行い、行為の妥当性を示す必要があります。   

>ところが、任命されない理由は、当初明らかにされませんでした。   

>後日、当時の首相は、総合的・俯瞰的に多様性を考えて、という説明をしました。

>まず、科学研究の専門家でない方が学問領域を「俯瞰的に見る」ことは可能なのでしょうか。   

 

日本人にはリーズン (理性・理由・適当) というものがない。だから、リーズナブルな回答は期待できませんね。   

 

>高度な研究事情までは政府が把握できないので、これまで日本学術会議に一任されてきたのでしょう。

>また、何の「多様性」を考えたのかも明確ではありません。

>任命されなかった研究者には、少数派の女性や、比較的主要でない分野も方もいたので、結果的に構成員の多様性は改善していません。

>このように、今回の問題は正式な手続きがなく、十分な説明がなされていないのです。   

 

そうですね。わが国においてはそれほど珍しいことではないでしょう。   

 

>ロシアで起こった大学研究の統制の第1段階に近いかもしれません。

>民主主義は最悪のシステムなのか?    

>正式な手続きや十分な説明が、なぜ必要なのか、日本もまねて導入したイギリスの議会制民主主義を見てみましょう。   

>この制度では、選挙で選ばれた議員が議題を議会で討議します。   

>この原則は、十分な議論と、多数決による採択です。

>第二次世界大戦中のイギリス首相チャーチルは、次のように言っています。   

>「民主主義は、これまでの制度の中で最悪のものだ。ただし、これまでのあらゆる制度を除けば」   

 

チャーチルは正直な人ですね。    

 

>皮肉屋で、ユーモアのあるチャーチルらしい発言です。   

>ほかよりはましだが、システムとして、民主主義は不備があると認識しています。   

 

それは大切なことですね。   

 

>最大の弱点は、多数決で決めることです。   

>反対側の意見は反映されないため、つねに問題が残ります。   

>また、多数派になった政権政党が、選挙時で国民に説明していない法案などを、数の理論で決定してしまう危険もあります。   

 

それはありますね。   

 

>これは、とても深刻なことで、数で勝れば、何でも自己都合で変えたり、決めたりできるのです。   

 

数の横暴は最悪なものですね。   

 

>拙著『オックスフォード 世界最強のリーダーシップ教室』でも詳しく解説していますが、多数決の問題を緩和するのに必要なのが、採決前の十分な議論です。   

>新たな議案や、政策の変更を公開の場で、国民にわかりやすく賛否両論の立場からディベートを行います。

>この言葉を使い事態を明らかにする、公的な過程を経ることで、主張の正当性や、法律の作成意義、解釈の変更の意図が明確にされます。

 

それは理想的な状態ですね。    

 

>議会の代表者は、国民や社会に責任(Responsible)がありますが、これは英語で「質問に答えることができる」という意味です。

>チャーチルは、第2次世界大戦の困難な時代も、議会でのディベートや説明を続けました。     

 

ディベートはアングロサクソンの得意芸ですからね。    

 

>「納得するまで話し合い、最後は投票で決める」これが、民主主義の絶対条件だからです。   

 

それは理想的な状態ですね。  

 

>このようにイギリスでは、最大の弱点の多数決による採択を事前の十分な議論で担保します。   

>政府や国会が、問題の適切な解決策をとらないため、「議場」でなく、場所が場外に移動します。   

>ネット上で、根拠のない発言が続きました。   

>例えば、「推薦者の任命をしないのは、学問の自由を制限したことにはならない」です。   

>これは、なぜ、どのように研究に自由が必要かという根本の問題です。   

 

我が国の科学者は権力者から自己の自由を奪い取ったことはなかった。常に与えられていた。      

 

>人類の歴史の中で、科学の進歩や発展には、各時代の権力者からの自立が必須でした。   

>新たな科学の発見は、権力者にとって都合の良いものばかりではありません。   

>このため、自分の利にならない研究を妨害することも多々ありました。   

 

学問の自由でなくて、権力の自由の拡大ですね。   

 

>ガリレオの地動説などは、良い例で、中世の西洋を支配していたカトリック教徒には不都合でした。   

>ガリレオは宗教裁判にかけられます。   

>「それでも地球は回る」と、科学の真実は権威者にも変えられない、という逸話を残しました。   

 

賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。

 

>このような過去の苦い経験から、世界では学問の自由を守り続けています。   

>今回は、6名が任命されなかった共通の理由として、「研究の軍事利用などに反対していた」という推測が場外で行われています。   

>明確な説明もないまま、今回の事態を一旦認めると、今後も学会の自由を制限する政治的判断ができます。   

>「政府の方針に合わない研究者は選ばれない」、ことが可能になります。    

 

学問の自由の上に権力の自由が存在することになりますね。これは昔からのことですね。       

 

>日本学術会議は、単なる研究者の集まりではなく、国際社会で日本を代表する研究組織です。   

>自立すべき機関の決定を、覆す意図を世界に示すことになってしまいました。   

>このため、ノーベル賞の登竜門と呼ばれている、世界的学術誌『ネイチャー』が真っ先に日本政府の行動を批判しました。  

 

日本人には批判精神がないですからね。わが国の学術誌は多国の政府の行動を批判しませんね。    

 

>「なぜ?」という質問に、だれも答えられないというのは、世界の研究者からすると、科学の進歩の妨害を危惧する事態だったのです。

 

そうですね。日本人が ‘なぜ?’ の質問に答えることができるようになれば、わが国は後進性から脱却することができますね。    

 

>問題の解決には議論が大切   

>3回の連載で、ウクライナ、ロシア、日本の現状から、大学の存在意義と研究の自由について考えてみました。   

>人類は、これまで過ちを続けながら、自省し少しずつ前に進んでいます。   

>今、行われていることが正しい判断に基づいているのか、この時点で評価できないことも多々あります。   

>新しい発見には、忍耐力が必要で、とかく時間がかかります。   

>また、どれが成功するのか、現時点ではわかりません。   

>各研究者が、自分で開拓した未知のテーマを、独自の信念に基づき、継続するしかないのです。   

>このような状況なので、政治家や官吏が、どの研究に何の価値があるのか把握するのは難しいでしょう。   

 

そうですね。   

 

>正解は1つではないかもしれないため、十分議論して、その判断に使った基準を後世に残してきました。   

>記録を客観的に残し、後世に未来を託すこと、これが、人類が歴史から学んだことではないでしょうか。   

 

人類の記録の半分は英語の文献として蓄積されていますから、我々も英語で日本人の記録を残すことが大切ですね。    

 

 

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数147 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/09/16 21:46
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