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2023年02月02日(木) 

 

>東洋経済オンライン   >日本人は奨学金制度の「貧弱さ」をわかってない 貸与中心は世界の非常識、背後には構造的要因   >松原 良輔 の意見 - 3 時間前   

>「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、学生を取り巻く環境が年々厳しくなっている昨今。   

>今や2人に1人がなんらかの奨学金を活用している時代ですが、日本の奨学金制度にはさまざまな問題があり、現場に過度の負担をかけたり、学生に不親切な状態が長く続いていました。   

>現場で日々向き合っている2人の専門家が、社会課題である奨学金問題について語る本連載。   

>第1回では、奨学金情報サイト「ガクシー」・奨学金運営管理システム「ガクシーAgent」を運営する、株式会社ガクシーの代表取締役・松原良輔さんが、日本で「給付型奨学金」がいまいち普及しない理由を解説します。   

>現在、日本の大学生の2人に1人が、何かしらの奨学金を活用している時代です。   

>日本の奨学金は返済義務のある貸与型がほとんどでしたが、2017年に日本学生支援機構(JASSO)が返済を必要としない給付型奨学金を創設しました。   

>現在は奨学金をもらっている学生の7割が貸与型で、残りの3割が給付型といった分布です。   

>給付型奨学金の総量は大体4000億前後で、その中でJASSOは1500億円~2000億円の間ぐらいと全体の半分弱を占めています。   

>2023年現在、スタートして約6年ですが、JASSOの給付型奨学金はすでにかなりの規模になっています。   

>2015年には給付型奨学金の総量は100億円くらいだったので、着実に給付型奨学金が増えていてこれは素晴らしいことだと思います。   

>しかし、それでもまだまだ日本の将来を担うべき若者の環境は厳しいと言わざるを得ません。   

>給付型奨学金といっても、学費や生活費のすべてをカバーできるものはかなり限られています。   

>欧米と比べると、学業に集中できる環境や金銭面で圧倒的な差がついてしまっています。   

>今回の記事では、日本の給付型奨学金はなぜ少ないのか、欧米と比べてどう違うのか説明していきたいと思います。   

>アメリカと比べて圧倒的に貧弱な、日本の給付型奨学金   

>前提として、給付型奨学金はアメリカと比べて圧倒的に少ない現実があります。   

>アメリカには5万~10万種類の給付型奨学金制度があり、これは日本の大体10倍くらいです。   

>背景にあるのは、アメリカでは寄付文化が根付いていること。   

 

我が国では一部の似非宗教に寄付文化が根付いていますね。犯罪行為ですかね。     

 

>アメリカの高等教育費は7割くらいが奨学金や寄付で賄われています。   

>日本では1割弱くらいなので、 規模が圧倒的に違います。   

 

知的国力の差でしょうね。    

 

>そして、寄付の恩恵を受けて大学を卒業した学生たちが、社会人になってある程度の年収になったら今度は寄付する側に回るのは当たり前の感覚としてあるようです。   

>そういった循環が脈々と続いています。   

>寄付に対する税制優遇もあります。   

>細かい条件は州によって異なりますが、奨学金や特定の団体に寄付すると、かなりの割合で税額控除の対象になります。   

>「お金を納税という形で国に払うか、自分の好きな奨学金や団体を選んでそこに寄付するか」を選べるような世界観です。   

 

ふるさと納税と似たところがありますね。’自分の好きな’ という部分ですね。わが国の個人主義の芽生えでかね。        

 

>そうなると自分を育ててくれた教育機関に奨学金として寄付する人も増えますよね。   

 

恩返しですね。  

 

>このように文化・制度面でのアメリカとの違いが、給付型奨学金が増えない理由として指摘されることが多いです。   

>そもそも、欧米では「奨学金」という言葉を使う時、学費が足りない学生を助けるのが趣旨なので、その多くが給付型奨学金です。   

>欧米からは、日本の貸与型奨学金は「奨学金ではない」「利率が低い学生ローンのようなもの」と見えるかもしれません。   

>なお、ヨーロッパ、特に北欧の国々は教育が福祉の一環として受け止められており、大学の学費が無料、もしくは日本と比べて圧倒的に安いため、奨学金制度そのものがあまり必要とされていません。   

>特殊な制度だが、歴史的な背景が…   

>なぜ世界的に見ても特殊な、このような奨学金運営が日本で生まれていったか。   

>実は、一歩踏み込むと、歴史的な背景が見えてきます。   

>JASSOの前々身である「財団法人大日本育英会」が発足したのは戦時中の1943年のこと。   

>奨学金制度創設のきっかけは、教員の待遇問題でした。   

>戦時下ということもあり、当時は軍需ブームも真っ最中で、低賃金だった教員を辞めて工場で働く人が多かったのですが、その結果、師範学校の入学希望者が激減。   

>これは戦争中の国家としては、由々しき事態でした。   

>このような背景のなか、教員の待遇改善の動きが活発化し、その流れの中で教育体制そのものの改善を目指す流れが加速。   

>貸与型奨学金が整備されたと言われています。   

>当時も「給付か貸与か」の議論があったようですが、結果的に貸与型が選択された背景には、以下のような考えがあったとされています。   

>「日本古来の家族制度の尊重の立場に立ち、親の子を教育する責務を援助するものとの意味において、また国からの支出を最小限にとどめる意図から、貸与制をとる」(出所:『日本育英会二十年記念誌』/1964年)  

 

親子関係がわが国の教育の原動力になっていますね。わが国には政治哲学が存在しない。ノンポリ・政治音痴の国ですね。だから、国力が伸びませんね。日本人には世界観がない。わが国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。               

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>私個人としては、家族制度の尊重という観点のほかにも、過去への反省も影響していたのではと考えています。   

>明治時代は、多くの上流階級の子息たちが国費(官費)で欧米諸国に留学しており、今と比べ物にならないくらい、教育はずっと不平等なものだったのです。   

>戦時中の発足ということで、大日本育英会が設立された背景には当時の時代背景を強く感じさせますが、とは言え、「より多くの学生が助けられるように」との思いもあったのは間違いありません。   

>そして戦後、GHQが日本に来てからは、この「平等」「公平」の傾向はより強くなっていきました。   

>こうして生まれ、社会に深く根付いていった日本の奨学金制度。   

>「公平」「平等」「より多くの学生に」という面ではそれなりにうまく機能してきました。    

>しかし、最初はすべて無利子だった貸与型奨学金に有利子のものが導入されるなど、年月が経って学生を取り巻く環境や社会情勢が変わり、少し今の時代に合わないものも出てきたように思います 。   

>まずは「奨学金情報の整理」「意識改革」が必要   

>ただ、これからの日本の経済状況を考えると 、学費を 安くしたり無償化したりすることは現実的には厳しいでしょう。   

>また、今後大学側が学費を下げることも現実的ではありません。   

>2004年に国公立大学が国立大学法人化されて、国公立大学は自分たちで採算をとらなければいけなくなりました。   

>少子高齢化が進み学生が減っている現状では、学費を上げていかないと運営が成り立ちません。   

>こうして学費や物価は上がる半面、アルバイトの賃金は上がりにくく、各家庭での年収も上がりにくい現状にあります。   

>あくまで個人的な考え方ですが、これらの現状を踏まえると「自助公助共助」の中の「共助」、つまり、民間企業や財団または富裕層による給付型奨学金やそれに近いものが増えて広まっていくのが実現可能な解決策かもしれません。   

>「公助」で国が学費を無償にしてくれるのが理想ですが、今の日本では難しいでしょう。   

>しかし、今の日本の奨学金市場の現状はまだまだその前段階にあるように思います。   

>これからの奨学金や教育を充実させていくために制度や仕組みを考えていく必要がありますが、それ以前に現在ある奨学金の情報が整理されておらず、「奨学金が必要な学生が必要な情報にアクセスする」ということさえかなり難しい状況がありました。   

>多くの学生や返済者が、決して小さくないペインを抱えていることを考慮すると、社会的な課題とさえ言えるでしょう。   

>そこで、私が代表を務める株式会社ガクシーでは、2019年に奨学金情報サイト「ガクシー」をスタートさせました。   

>このサイトでは、日本国内で提供されているほとんどの奨学金情報を網羅しています。   

>前述した通り、日本は欧米各国と比べると、奨学金の種類が少なく、また授業料の負担も大きい。   

>東大の大学院生でも生活費に困り、アルバイトに時間を取られて研究に専念できないといった現状があるのがわが国なのです。   

>こうした日本の将来を担う若者のペインを解決したいと思い、奨学金領域に特化した会社とサイトを始めたのです。   

>奨学金の「負のイメージ」が根強い現実   

>ただ、われわれのようなサービス提供者が情報を整理する一方で、奨学金に対する意識の改革も必要だと感じています。   

>日本では奨学金そのもののイメージが悪いため、たとえそれが「給付型」の奨学金であっても、もらっていることを周囲に知られたくない、と考えている学生は少なくありません。   

>また、悪いイメージは、貸与してもらう/給付してもらう以前の段階でも作用します。   

>「奨学金の情報を調べていることを知られたくない」と思う学生は少なからず存在しており、奨学金情報を発信している弊社のSNSも、アカウント名に「奨学金」と入っているからフォローして周りに知られるのが嫌だという話をよく聞きます。   

> 本連載を私と一緒に担当する水戸康徳氏さんも「ツイッターのリスト機能を用いることで、フォローすることなく奨学金情報を収集している(と思われる)学生」がいることを指摘されています。   

>これも奨学金への悪いイメージゆえの行動でしょう。

>だからこそ、「貸与型奨学金を活用することは決して恥ずかしいことではない」「給付型奨学金を活用することも、学生の権利であり、栄誉である」といった思想を広めるのも大事なように思います。   

>悪いイメージを持たれている背景には、返せなくて自己破産する人が増えるなど社会問題として取り上げられるようになったこともあります。   

>実際、冒頭で紹介したJASSOの給付型奨学金が始まった背景にも、この問題がありました。   

>ただ、そういった報道が目立つように感じる反面、延滞率は1.3%程度(※該当人数で計算した場合)で、奨学金を借りた人のほとんどは奨学金に助けられており、毎月しっかり返済していています。   

>そういった人たちのほうが圧倒的に多いのです。   

>また現在、政府は就学支援の拡充を予定しており、所得制限の緩和や「出世払い」できる奨学金の導入が予定されるなど、学生を取り巻く環境も少しずつですが確実に改善されていっています。   

>自己投資という観点を広めることが大切だ   

>貸与型奨学金の場合、借金であるというのは確かにその通りですが、「自分の将来のための適切な投資」と長期的に捉えることもできます。   

>しかし、「奨学金を活用して進学した場合」「奨学金を活用しない場合」を冷静に比較・検討したうえで、将来の自分への投資として奨学金を活用しようという発想をする日本の学生はごく限られてしまいます。   

>それは親もそうなので当然の流れかもしれません。   

>そういう意味ではアメリカでは、小学校から金融教育を受けていて「投資」という観点を学んでいるので、進学を「自分への投資」と考えやすいかもしれません。   

>最近は日本でも、高校での一部投資などの授業を始めるなど、金融教育の動きが出てきましたが、浸透していくにはまだ時間がかかりそうです。   

>また、アメリカでは企業側も「学生への投資」「採用への投資」という考えがあります。   

>例えばAppleやMicrosoftなどアメリカの大手企業には「インターンなど採用を絡めた給付型奨学金」があります。   

>1~2年生の段階でインターンをして内定が出た学生に対し、3~4年の学費は企業が全部出すような仕組みです。   

>日本人的な感覚でいうと「露骨」と感じる人もいるかもしれませんが、選択肢の1つとしてこのような奨学金があることは学生の可能性を増やしてくれるでしょう。   

>このように、今の日本の奨学金市場において、「今ある情報を一元化・整理して必要な人に届くようにすること」「奨学金に対する悪い・怖いイメージを払拭して、利用する学生が客観的に判断できるようにすること」がまず重要です。   

>奨学金情報を的確に届けてこそ、冷静に判断できるリテラシーが育くまれるのだと思います。   

>そのうえで、給付型奨学金の数、総量を増やしていくことが必要でしょう。   

>そこにも大きな課題があるのですが、それは次回の記事で紹介します。   

>(構成:横田ちえ)   

 

 

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閲覧数137 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/02/02 02:30
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