今は昔、高校三年の夏休みの宿題に、源氏物語を読むというのがありました。 しぶしぶ与謝野晶子訳を読み始めた私は、あっという間に光の君に夢中になってしまいました。それからは、色々な訳を読みましたが、情緒的なことではいまいちの与謝野晶子訳が、やはり最初に読んだものですから、一番馴染みがあります。原文が一番と思いつつ、高校だけの勉強では歯が立ちません。 宇治十帖は紫式部が書いてないとか言う説もありますが、もともと空蝉からしか書いていないという説もうなずけますし、そのことで宇治十帖がどうだと言う話はないと思います。 宇治十帖は又違った魅力に溢れていて面白いと思います。京都を舞台にしたものは、地名がそのままわかるものが多く、頭の中で、どこをどう移動していったのかよく判りますが、宇治の事はよく判りません。 長く読んでいない宇治十帖を又眼を通し、ゆっくり散策して見たいと思っています。 |