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2009年01月22日(木) 
初めに私の母校の高校の同窓会のネットから配布されたメールを下に貼り付けます。
   ……………
○○の卒業生には医療関係の方や、老人介護の経験者も多いと思います。

もし何か参考になる情報があれば教えていただけないでしょうか。


母親が昨年12月18日に1994年の右脳の脳梗塞以来4回目且つ最大の脳梗塞を発症しました。眼球も動かず、口も開いたままとなり、いよいよの覚悟をしました。しかし心肺機能は衰えておらず、一ヶ月経過した今は、僅かながら眼球も四股も動かすことが出来、言葉を理解するように見えますが、泣く以外の意思表示も、飲むことも食べることも出来ず、点滴だけで命を繋いでいます。

しかしそれだけではせいぜい300カロリー/日程度しか摂取できず、最低必要カロリー(800~900カロリー/日)を確保する為、医者は腹部に約1cm程度の開口部を作り、胃カメラで同調しながら胃ろうを造設し、栄養補給を行うよう勧めています。点滴だけでは結局栄養不足で体力が衰え餓死することになるからです。

一方、胃ろう造設をすると、不快感から無意識に抜き取ろうとするので、両手をベッドに拘束せざるを得ないようなこともあり、とても家族として見ていられないという経験談も耳にしました。また胃ろう手術が終わると10日程で病院から出され、介護施設または家に移されますが、胃ろう患者を受け入れる施設は非常に少ないという社会問題もあります。

母親は89歳の高齢であり、尊厳死協会会員として無駄な延命措置は拒否しています。胃ろうによって例え一時的に延命することが出来ても、今後咀嚼能力や意志表示能力が回復する可能性は分かりませんし、所詮その先はないのだから、苦痛を伴う処置を施す意味があるのだろうか?点滴によって餓え、渇きを感じないまま、自然に枯れて行くことを待つことの方が尊厳のある終末期ではないのか?苦痛を表現することも出来ない人間の尊厳をどう保てばよいのか大変難しい問題です。小生はまだ4人の老人を抱えており、親の終末期ケアについては未経験です。

もし皆様の中で、その様な経験をお持ちの方から何か参考になる情報をいただければ幸いです。


以上よろしくお願いします。

  …………

無駄な延命措置を拒否する人は多いようですが、何を無駄と考えるかが明確ではなく、その判断は人によって異なるでしょう。

事前にそれを確認しておかなかった家族は(当然に担当医も)、どこからが無駄な延命措置になるかがハッキリしないで悩んでいます。

私は終末状態のいろんな状況についての具体例を多く箇条書きにしておき、個々のケースに対する希望を記入しておいて貰えば、上記メールのように悩まなくて済むのに…とかねがね思っているのですが。

尊厳死協会のフォーマットがどうなっているのか見ていないのですが、無駄かどうかの判断の基準を書くようになっているのでしょうかね。

上記メールに対して別の同窓生が下記のメールを寄越しています、ご参考までに。

   …………

 ◎◎さん、△回の□□と申します。

 親御さんの介護の悩みは、われわれの世代の多くが抱える問題であり、そしてつぎにはわれわれ自身が考えなければならないことであります。私は訪問診療専宅療養支援診療所をやっていて、多くの寝たきりの患者さん、ご家族とおつきあいしておりますが、親御さんの看取りをどのような形でするかは、ご家族の考えかた次第であり、正しい答えはないと思います。

 胃瘻(いろう・胃に管を入れて栄養する)は、設置直後はともかく、ふだんは手ですぐ抜かれるということはあまりありません。栄養についてもこの胃瘻からの投与だけで完全に確保できますし、手間は食事介助するよりもかからないのが普通です。ただ、そういう状況で生き続けていただくことをよしとするかどうか、そのあたりがそれぞれのご家族で考えかたが異なります。

 >点滴によって餓え、渇きを感じないまま、自然に枯れて行くことを待つことの 方が尊厳のある終末期ではないのか<

 自然を求めるなら、点滴もやめるべきでしょう。1日1本ていどの点滴ではお茶碗1杯分のカロリーもなく、1日に必要な水分量でもありません。つまり医療者とご家族の、いわば自己満足にすぎません。ただ、それらの延命処置をいっさいしないで自然死を見守るという医療を、医師ができるかどうかです。在宅ではそのような選択を『<すべての>ご家族の合意・同意のもとに』行うことは少なくありません。しかし、病院で入院中であるとそれを依頼するのは難しいかもしれません。

 胃瘻があると入院継続や介護施設入所が難しいという話はありますが、いまの時代は、胃瘻の有無にかかわらず、高齢者の寝たきりのかたを病院や施設で介護することはかなり困難になっています。政策として在宅で介護せよという強い流れがありますので、もし施設での介護をご希望でしたら、なるべく早く動かなければなりません。また、現在、施設の介護力はかなりよくないという点は、残念ながら了解しておいていただかなくてはならないでしょう。

 医療や介護の環境は地域によってかなり差がありますので、担当のケアマネージャさんともよくご相談になる必要もあります。

 ご参考にならないかもしれませんが、とりあえず…(きわめてプライベートな問題ですので、よろしければ直接メールをいただいてもけっこうです)。

閲覧数1,307 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2009/01/22 23:49
公開範囲外部公開
コメント(4)
時系列表示返信表示日付順
  • 2009/01/23 16:31
    白ヤギさん
    お見舞い申し上げます
    昨夜日記を読まして頂き、色々考えておりました。
    尊厳死とは・・・
    無駄な延命治療とはどの線からか?・・
    我が夫婦も見込みの無い?(無駄?)な延命治療は望まない。
    と 決めて記しているのですが、さて どの様になるのか??
    次項有
  • 2009/01/24 02:02
    鉛筆コッチさん
    白ヤギさん

    こんばんは

    >我が夫婦も見込みの無い?(無駄?)な延命治療は望まない。と 決めて記している<

    我が夫婦はまだ決めてはいません。私は基本的には宣言したいのですが、私が無駄とは思っていないのに家族が
    無駄と思ったのでは困ってしまうからです。

    植物人間になっては生きている価値はないと思っています。何年か立って意識が回復したという例も有るようですが、可能性の低いことに期待するのはお金と労力の無駄ですし、介護に当たる家族の家族の生活意欲を低下させます。

    苦しいが意識は存在し、自己実現に意欲を持てる場合と、苦痛に耐えるだけで精一杯というケ^スがあります。客観的には同じ状態でも、患者の精神力によりどちらかの別れるわけです。私は、前者なら治療を望みたいし、後者なら安楽死を望みます。

    私の意識がない間に勝手な判断をされても困ると思っています。…と云って自分で判断できる意識が戻らないままにいつまでも周囲の人の生活を食い潰していくのも困る。

    医師でも尊厳死協会の人でもいいですが、あり得る終末状態の各種のケースを列記してくれて(何十くらいしかないのか、何百もあるのか判りませんが)、その各々に対して、自分の現在での希望を記入して渡しておけば、間違いは少ないと思うのですが…。

    そんなものが必要にならずに、昨日まで元気だったのが今朝起きてみたら息絶えていた…となれば自分にも周囲にもいいのですが。
    次項有
  • 2009/01/24 08:05
    延命処置をいっさいしないで自然死を見守るという医療を、医師ができるかどうか。そして、家族が見守り続けられるのかどうか。

    難しいですね。
    長生きの身近な親族が具体的に思い当たらず、
    ちょっとサンプルに乏しいです。

    父の末期がんがわかった時に、放射線技師の弟は転移している脳にアタックする・弟の大きな病院でも3人目だという処置を希望し、行いました。母は、今でも「あれは必要なかったんじゃないかな」と言います。

    終わってからでも、ああすれば良かったんじゃないかな、いやこっちの方が・・とアレコレ思うものですね。
    技術が向上し選択肢が広がるというのも、生きにくさにつながる場合の方がもしかして多いのかもわかりませんね。
    次項有
  • 2009/01/24 12:45
    鉛筆コッチさん
    安楽死は問題ですが、延命処置を執らないことは、法律的には問題なしです。

    ただ医師は病気を治すことが専門ですから、治療が無駄だと諦めてしまうことは精神的にはつらいことでしょうね。

    目的は直すことではなく、患者の苦痛をなくすこと、さらには予防することを目的とすことにすれば、気は楽になると思っているのですが。

    患者が出たことは予防医学の立場から医学の敗北と考えるようになると、健康保険の赤字もかなり減るだろうと思っています。

    治療を無駄と見るかどうかは、人によって様々です。苦しくっても生きていることに喜びを感じる人と、早く死んでしまいたいと切っているひとがいます。ある人での経験が他の人には通用しません。

    したがって、周囲の人たちが自分たちの決定を後で悔やむことは意味がないので、反省や後悔しないように、自分の気持ちを誘導することが必要と思います。
    次項有
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