昔は、ちょっと違反はたいした扱いされませんでしたが、
今の世の中は、つまらない風紀委員だらけで、
ちょっとした違反でもバッシングします。
飲酒運転もアホみたいに厳しくなったので、
ゴルフをやめました。
ゴルフって酒飲みながら遊ぶ遊びだと思ってますし
まぁ博打のひとつでもあります。
相撲界でも花札や麻雀と野球賭博を同列にしてましたし
私は、かなりの極悪人です(笑)
違法行為とはとは法律に違反する行為であり、不正とは正義に反することです。 両者は異なる次元の異なるテーマです。具体的には合法かならずしも正義ではなく、違法必ずしも不正ではありません。憲法違反であると最高裁が判断する法律はよくあります。一つの法律に従えば罰の法律に違反する訳です。どちらが正義か…。これはケースバイケースでしょう。 これは下記に記載した日記の続編です。 http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 ![]() 私の道交法についての違法行為は日常的的です。話しをまずはスピード違反から始めます。 世界に於いて、自動車が普及するにつれて交通事故による死亡者が大幅に増えました。しかし、自動車の使用は禁止されていません。敬虔な宗教家も車を運転しています。 考えるに、少々(と云っても日本で年間5,000人)人が死んだって、その便利さと比較して無視し得るとの、道徳的に考えれば問題がありそうな功利主義がまかり通っているように思えます。それを前提にします。 以上は前置きで、ここから本題。 私はこれまでにスピードを出し過ぎて、これはヤバカった…と思ったことはありません。強いて云えば雪道の曲がり角を10キロくらいで走った時にハンドルは切っているのに車は直進したことがあった時くらいです。通行人はいなかったので、人を危険に曝したわけではありませんが。 あとは地吹雪の中を走った時です。この場合は止まっても危ない(前にいる私の車がが見えていない車に追突される)。 http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 ![]() 路面の状況、車の状況、道路環境によって、スピードを制御して危険な状態を避けることは人のためだけではなく自分のためにも当然必要なことですし、これは私もやります。 スピードが高くなると他人を危険に曝すこと、人を殺す可能性を高めることは、正義に反するように見えます。しかし、車の使用そのものにも言えることであり、通常の環境ではスピードの増加により人を危険に曝す確率がさほど急激に高まるとは思えません。早く目的地に到着する…とのメリットと相殺される程の危険増加だなと考えます。車の使用は人を危険に曝すから正義に反する(これはある程度、尤もだとも思える)と云うなら話しは別ですが。 スピードをある限度を超えて運転が不安定になる程になると、周囲の危険は急激に増えるでしょう。そこまで行くと上記の問題の多い功利主義的思想を前提においても疑問が生じます。正義に反すると云ってもいいように思います。 車の使用自体は認める(正義に反しない)として、さてどこからが不正の範囲になるか。これはもう車の種類や環境次第でしょう。 田舎道において英国では90キロ、日本では60キロが制限速度ですが、車も路面も相違がありそうにない日英において、60~90キロは、日本では正義に反し、英国では反しない…なんてことはあ得ない。英国で安全なら日本でも安全です。 特に私の車はスリーボックス型の乗用車。重心は低いですから、ひょろ高いワンボックス車よりは安全サイドです。運転技術は…? これは評価不能。 後期高齢者のテストでも問題なしとの評価。 私は万年睡眠不足、制限速度で走っていると緊張感不足で睡魔に襲われ、危険です。ストレスがかかる高速度の方が自分にの周囲にも危険を及ぼしません。 したがって、車の走行速度において、私は違法なことはやっていますが、社会正義には反していない。これは声を大きくして云いたい。 しかし結構しんどい言い訳に見えますね。同調者がいるでしょうかね。 |