五木寛之は、親鸞に傾倒していて、末法思想の影響を
受けていると、私は思います。
此れから先は、称名念仏に進むと考えます。
「下山の思想」で親鸞だなと思いました。
浅学菲才なもののコメントですが・・・。
経済関係において時々引用されている「下山の思想」。言い出し兵衛は五木寛之だった気配。そこで五木寛之の「下山の思想」幻冬舎新書を購入。「しもやま」って人の名前かと思っていたら、登山の反対の「げざん」。これから下山の時代なのだそうだ。確かに日は昇ったが今後は沈んでいく…?。 私には疑問があります。夜が過ぎれば日はまた昇るし、北極の夏は日が沈んでも夜にはならない。 何故下山? 登山は生活場所から離れて山に行くので、基に戻るために当然に下山する必要がある。生活場所自体が高い所に登り続けることだって当然にあっていい。下山なんてする必要はない。勿論、上り下りはあるだろうが。 日本はGDPが世界第二位になったのがピークで、今後は低下する一方だ?順位などどうでもいいが、我々の生活、一人当たりのGDPが上昇を続けるなら何の文句もない。 したがって、(多分日本が)これまで経験のない未曾有の下山時代に陥った…との考え(これは著者とは別の人の意見だったかな)には何となく賛成できないように思っています。必然性がない。 日本ではなく、世界が未経験の下り坂に向かいつつある…? リーマンショック、ユーロ危機、領土問題、米国の大赤字継続、などゴタゴタしていることは確かだが、これらに対処する知恵を人類が持っている…と私は信じたい。 さらにある人の意見によれば、世界同時不況というのは世界人口の13%を占める欧米中枢国だけの話しであって、残りの87%を占める国々ではGDPが7%増えている(昨年度)という。それなら日本は経済的には欧米依存をやめればいいし、すでに変わりつつある。 勿論著者は悲観している訳ではない。次ぎの登頂がある…とは云っている。 下山を楽しむのはいいことだ。これまでと異なる世界が見えるかも知れない。 この本自体には上記の下山の思想とは直接関係しない、著者の各方面での人生観が記載されていて面白い。 一カ所、諸手を挙げて賛成したい意見の記載あり。 対立する二つの重要な問題がある時に、二者択一を急ぐな…との主張である。「どこまでも対立する両者を手放すことなく持続させるか、その努力こそが文明というものではあるまいか」 ぎりぎりになるまで二者択一を先延ばししろ!と云うのである。急いては事をし損じる…ということでしょうね。 著者は書いてはいませんが私は原発の廃止と持続の問題に当てはめて、共感を覚えました。私にも原発維持と廃止のどちらが子孫の命と生活を大事に守れるのか、情報が不足して未だに決められないでいます。どちらにするのか、慌てて決めなくても両者の可能性を十分に詰めて、十分な情報を基礎に決めればいい…とかねてから考えています。せっかち日本は直ぐに黒白を決めたがる。 |