公人および団体は社会に対して、自己の公明性について明らかにする責任がある。私企業といえども、社内的には兎も角、対社会に対して公明でなければならない。決算予想に変化が予想されれば、それを社会に知らしめる義務がある。
政治家は、自分の公平性を維持するためには金銭的に、また自己の利害関係について潔白・不偏でなければならない。
政治とお金の問題に対して、説明責任なる言葉が飛び交う。各政党は他党の人の疑惑に関して説明責任を果たしていない…と攻撃なさる。判らないでもないが、国会に出来て説明をすることを真に求める積もりか。
説明を受けて一体何が解決するのだろう。
過去に多くの政治家に疑惑が生じ、国会、県議会、市議会(はて市議会でもあったよね)私は潔白である旨、説明されたようだ。しかしそれらの多くの方々は最終的には有罪となっている。自分は疚しいことをした…と説明された人があった記憶はない。大体、ご本人が法解釈に長けてはおらず、違法行為をしたのかどうかもお判りにならない人も多いと推測されるし、違法をやったと思っても、ニッチもサッチもいかなくなるまでお隠しになるようです。
国会や県議会など説明を受ける方も潔白を主張する容疑者がぐうの音も出せずに自白させるだけの証拠収集・追求力を持っていないのが現状。容疑者は喋りっぱなし、聞く方は質問と反論をしっぱなしで結局は結論なし。同じ党に属する人間は説明責任は果たされた…といい、他党の人は疑いは晴れなかった…と言い合うだけで、立場(それも同一の党に属するかどうか)によりまちまちの反応。客観的な結論を下す能力がない。したがって説明を受けることには意味がない。時間の無駄遣い。
いじめのために説明責任を果たせ…と主張されるのは勝手だが、実際に説明を受けること自体は審議日程の無駄遣いとしか私には思えず、やらないで欲しいね。
検察庁が頑張って有罪判決を得た時には犯人の所属が自党でろうと他党であろうと感謝すべきではないか。政治への妨害であるとの主張なんてとんでもない話しだ。