NOSSYさん
資料のご紹介を有り難うございます。岬のカブさんからも日野原医師の著作を紹介いただいており、検討したいと思っています。
死に格別の思いがある訳でもないのですが、勢いついている内にやってしまいたい…と考えています。
アルフォンス・デーケン著「死とどう向き合うか」の読書感についての私の日記を読んで、ある人から 椎名誠著「ぼくがいま、死について思うこと」をご紹介戴きました。ただしご本人もまだ読まれていないようでしたが。 椎名誠はよく知ってはいますが、著作を読んだ記憶がないので、読む気になりました。 著者が遭遇したり取材したりした、世界中の死のあり方、死体処理、友人の死に様、著者自身が死にかけた幾つかの体験…などが盛りだくさんに記載されおり、それなりに面白いが、ただ一つ、彼自身の死のあり方、それへの不安や希望、思いは実質的にはありませんでした。 加齢と共に体力が衰え、活動も大分減ったので、最近は死ぬ確率が若い頃よりは 減ってきたこと、などとおどけて書かれているが、死への不安とは怖れなどは全くないようです。 考えてみれば西部劇の映画で、いきなりの撃ち合いで死ぬケースが多い場合、死ぬと判ってから死ぬまでの時間が短いので、死のことを考えたり、死と向き合う…なんて余裕はないでしょうが、著者の想定もそれに似ている…? 自分の死への思いは半頁程の記載があるのみ。 「死に方が選べるとしたら、ぼくは日頃のアウトドアの遊び仲間らといつものように海べりで潮風に吹かれ焚き火にあたりながら極上の冷えてビールを飲みながらぼんやり死にたいそうだ。死体はそのまま浜辺に埋めてもらえば再興である」…。 死に方など自殺でもしなければ選べる筈もない。どこでどのように死ぬか全く判らないからこそ、不安や怖れがあり、自分の死後の遺された人達に迷惑を掛けないための準備が自分の死の状況に対応してなされたかどうかが、状況が不明なるが故に心配なのである。 著者は心身共に健康で、アウトドア派であり、死に対して、哲学的・文学的・情緒的な思いなどはあり得ないのでしょうね。 死後の世界を信じているのだそうだ。パスポートなしに別世界に行けるのが楽しみなのだそうだ。私とは別世界の人物のようだ。ある意味では羨ましい…とは云えそうです。 ご本人、妻の渡辺一枝。もう10数年して二人とも身体が大分不自由になり、夫婦助け合ってやっと生活するようになった時点において、もう一度思いを書いて欲しいものです。 こ本は表題に偽りあり…と云うか、私が標題を「ぼくがいま、"自分の"死について思うこと」と勝手に脚色して読んだことに問題があるのか…、私の希望には答えてくれませんでした。しかし面白いことは確かです。 ………………… 死とどう向かい合うか アルフォンス・デーケン http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 ![]() |