皆さまご無沙汰しています。
昨年は被災地の海岸を視察(出来高の査定)で忙しく現地に行きました。
上手くいって7割の出来です。
優先されているのは、どうでもよい高速道の工事。
なんか、順序が間違えています。
さて3年まえの我々神奈川県での被災の状況です。
東日本の太平洋岸に大津波が押し寄せてから3周年。
あの日は子供の入学した大学の八王子校舎に行く。
娘と二人で雪の残る校舎に初めて登り(丘の上にある)
ここで2年間過ごすのかと想う。
帰り道で、何かが起こったらこのホテルへ泊れと私が言う。
帰路のJR相模線で14時50分頃、ゴリゴリギシギシと異常音と揺れ。
前に座っていたオジサン二人が「こんなのろい電車で引き殺されるの
は悲劇だな!」なんて言う。
そこで電車(単線で以前はデイーゼルでしたが、東電の電気を使う電車へ)
は停止。
例の親父二人がその頃発売のタブレットを出して実況を始める。
東北で大地震!ああ!車が家が流れていると・・・
全員でシートに座り、土手上の電車の揺れに転倒しない様にする。
結局、16時50分迄電車内に閉じ込め。
救援隊が歩いて来て、外に梯子をセット。
急こう配の土手なので、前のオジサンが梯子から転落。
かろうじて、ネットフェンスで止まる・・やれやれ!
底からは近くの「番田駅」まで線路を歩く。
阪神大震災の時以来の線路歩き・・日が長く成っていたので助かる。
(ちなみに今夜の暗闇は18時15分頃)
しかし、東電から売電という事情があり、駅の電話も通信網も全て駄目。
周辺(相模原市)は停電中・・駅員一人が「何も出来ることありません。
情報もありません。茅ケ崎から来たホームに停車の電車で夜をお過ごし
下さい・・」
え~ここは何処・・歩くのにはルートが複雑すぎる。
バス路線は廃止に成っていて駄目。困ったな~!
我が家には携帯電話も繋がらない・・・
ボーとしていたら、駅前の小さな居酒屋が「この中へどうぞ!」と。
娘とカウンターに座る。
私は、店の黒板に書いてある品を眺める(さすが飲み助だ!)
親父にあの黒板の品は出せる?と聞く。
暗闇に成る前に全て準備してあると。
いつのまにか、太いろうそくが5本灯される。
親父はグルグル手回し発電の電灯を使いだす。
ここで闇の灯りが外に漏れて、数人が入ってくる。
我が親子はここで食欲を満たして、電車内で徹夜を覚悟。
食べて飲むぞ・・で大蛤の汁迄喰らう。
この間、娘はSOSメールを陸上仲間へ発信。
充電器購入に近くのコンビニへ・・この店は偉い。
近所のパートさんを集めて懐中電灯で商品を探してくれる。
そのお陰で、厚木の親子が車を出して救援へ・・・。
信号止まり、暗闇の処と一部停電が解消した処がモザイクの様に
ある。24時過ぎて灯りの付いている茅ケ崎へ。
我が街は停電無かったそうだ。
この友人親子に感謝!番田駅前の「なか野」さんに感謝!
情報を色々くれたオジサン達へ感謝!