「日記読んだよ」のコメントだけ残します。
気のきいたことかけなくてごめん。
お幸せにね。
20年前の今日 1987年10月11日 僕の初めての子供が生まれた。 子供が普通に育つのに現代は良い環境だろうか? と1969年頃に真剣に考えた。 答えはNo!だった。 それなのに当時の恋人と結婚した。 駆けっこが速くて日本一になり日本記録も創った人 で惚れての結婚ではあった。 しかし、結婚前に「子供」がテーマでややゴタゴタが あり、その答えを有耶無耶にしたままの結婚だった。 「家族」にとって「子供を生むか生まないか」という 問題は重要なこと。 『自然に子供が出来る。そして大切に育てる』のが 当たり前で自然なことですが、僕自身にはそれが出来 ない時代でした。 ベトナム戦争 学園闘争(大学内の色々な問題噴出・高校にも飛び火) 安保問題(1970年安保:米軍との問題)でのスト続き 戦争の恐怖が濃くなり、社会の安定も危ない感じで 核戦争は何時でも起きそうな気配があった。 「子供が幸せに過ごせるか・・今の時代は」 と思い込んでいた。 結局長い別居の後に離婚をした。 その自分が40歳を越して 「地球が壊れる時は子供と手を繋いでそれを見ながら 死ねばよい」と想うように変わっていた。 確かに、核戦争は遠のき地球の一時の平和がきたような 1980年代後半だった。 この間、何人も私を真剣に愛してくれた人がいた。 子供が出来ても良いと想う人にもめぐり合う。 しかし、望むと出来ないものだ! また出来たと想って喜んだら、彼女が降ろしに行って破局。 それがヒョンな巡り会わせで20歳下の人が妊娠。 「出来た婚」で結婚して子供が生まれた。 妊婦は半年は大事に労わる・・で子育てに重きを置く。 なんてことだ!彼女が家出してしまう。 子供を生ませたら自分を見ない。抱いてくれない・・・と 若さ丸出しの彼女は思い込んだらしい。 仕方ない。 45歳役員定年と自分で決めた会社なので退職。 母代わりに子育てに入る。ミルクで育てオシメ(まだ布) を取替え3才半まで育てる。 そろそろ金も尽きる?ので仕事を再開。 銀座に子供を連れて打ち合わせにゆく。 腰に抱きつく抱っこちゃんみたいな子供。 皆さんには可愛がってもらった。 働くお母さんのご苦労を見に滲みて感じた。 そんな時に、引き取りたいと彼女が現れる。 何を今更!と想うが、大切に育てたいというので 潮時かなと思い子供を渡して正式に離婚した。 結婚の時に立会い人をした親友(岩手の男)が 彼女の新しい男で、その後子供も出来ている。 姉になった私の子供はその後何回か逢っている し、現在の我が家族に逢いにもきた。 現在は我が家は我が家。その家はその家で無干渉。 20歳の今日、その子供も成人。 その家で大切に祝って貰っていることでしょう! 自分の希望を見据えながら立派な大人になって下さい。 画像:17年前の茅ヶ崎中央公園 奥に今は無い日本精麦の工場が見える。木木も小さ い。 手前の三輪車の子供が今日成人だ! |