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2014年09月18日(木) 
   日本の内外で食文化がことなる。鯨を食べる国と食べない国。それぞれの文化は尊重されるべきである。

   動物愛護はいいことだ。牛、馬、豚、羊、クジラ、犬、猫、イノシシ、鹿、熊、兎…全て命の尊厳には変わりはない。しかし人類は動物を食べざるを得ないようにできている。私が食べたことがあるのは、上記では猫以外は全部。

   鳥や魚類を入れると話がややっこしくなりそうですね。

   何故か一部の国の人にはクジラに対して思い入れがあるようだ。絶滅防止は当然に理解はできるが、クジラを食べることは人道に反する…とか、クジラは知能が高いので食べるべきではないとか。じゃあクジラよりは知能が高いブタはもっとたべるべきではありませんね。

動物の知能 http://blog.livedoor.jp/loveai0221/archives/33058054.html

   可愛いかどうかを食べる食べないの基準にするのは全くの感情論。

   養殖されたものは食べてもいいが、自然に生きている動物は食べてはいけない? しからば、もう自然の中では生きてはいけず、農業、漁業等々の企業に養殖されているがごとき私たち人類はライオンや虎、サメなどを生かすために食べられることがその考えに適っていそう。

   捕獲の仕方についてはここでは無関係な議論だと思われます。

   日本の鯨肉食文化は縄文・弥生時代から存在し、弥生時代にはより大型の鯨の捕鯨も行われていたそうです。近代になってから鯨油だけを利用するためにクジラを捕獲し、鯨油以外は廃棄していた西欧とは異なります。

…ここまでは、普通の意見。

   わたしが判らないのは日本の調査捕鯨。何の調査をやっているのだろう。生体数の調査? そうなら殺す必要性はあるのだろうか。データ取った後、発信器でも取り付けて放つ方が合理的。

   調査捕鯨による調査報告はみたことがないが、無頓着なマスコミが報告しないだけ?

   調査目的を議論し、それが認められた時、必要な精度から必要なサンプル数が計算される。いまはいきなり数だけが議論されている気配で、合理性が欠如しています。

   納得できる商業捕鯨再開基準とその基準到達の確認方法が決まれば、調査捕鯨は縮小もしくは短期間中断してもいいのではないか…と私は思います、末永くおいしいクジラを食べることができりように。

   渋谷・道玄坂のくじら屋にも長く行っていないな。

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閲覧数756 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/09/18 09:37
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