多数決で負ける側の儀式
旧社会党時代から目立つ儀式として、
続いている気がするんですけどね。
強行裁決って。。。
質疑やら代案等々議論のやり方はあったけど
戦争法案、戦争反対とレッテルと議論のすり替えで、
自滅してしまった。
追い詰める側が、最初から支離滅裂だったから
馬鹿みたいなデモに頼って醜態をさらした。
そう感じますね。
今回の安保関連法案改正で、日本の民主主義が壊れた…とか。 多くの民主国家では代表制民主主義が採用されており、 憲法改正を除いて法案毎に民衆の意見を集約してその多数意見に依るような仕組みにはなっていない。立法機関の選挙で国民の判断によって選ばれた代表者達の多数決で決めることになっている。 一般国民が権利として国政に参画できるのは、憲法改正、国会議員への立候補、国会議員の選挙、最高裁判所裁判官の任免のみであり、その時以外に自由はないのが代表制民主主義の本質である。それがいやなら国民全員で全てを決める直接民主主義にするしかないが、それは不可能だろう。また哲人政治もあり得るが容易には受け入れられない。 勿論、世論と代表達の意見が合致するのが好ましい。したがって、国民に対する判りやすい説明をすることが好ましい。しかし、世論を調査してそれに合わせるように義務づけられてはいない。建前上では代表は国民の投票で選ばれた人達であり、何らかの意味では僅かな数のサンプル調査による世論よりは国民の意見を反映して選ばれた人達だ…と云える。したがって、国会周辺で反対デモをやることは、秩序を乱すことさえなければ自由であるが、あまり有用ではなさそうである。彼らの反対を押し切って法案が可決されても、代表制民主主義には問題がない。代表民主主義では選良の多数の力(多数による暴力?)により決める制度である。 一方、票決に入ろうとする議長のもとに駈けよって議長の胸ぐらを捕まえたり、否決されることが判っている各種不信任案や懲罰案を提出したり、延々と意味のない演説を続けたり、牛歩投票をすることで国会の任務である審議を妨害することの方が、民主主義に反する行為のように私には思える。多数による横暴よりはこの方が問題ではなかろうか。少数による暴力にはしばしば腕力が伴うが、これはよくない。 民主党政権の時にもありましたね。国外でもあったように記憶します。どこでも理想的な民主主義ではなさそうです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E5…8%E5%AE%B3 ![]() 日本の代表制民主主義において、国民の意見を反映した議員が選ばれているか…については、多数決の有する本質的な欠陥のために、大いに義疑問です。それについては③で述べます。 . |