>朝日新聞 >商品券配布は歴代首相子慣例? 首相、さかのぼっての調査を否定 >朝日新聞社によるストーリー・ >3時間・ > 石破茂首相は31日、自身の商品券配布問題に絡み、歴代首相による同様の事例は「承知していない」と述べ、過去の実態調査についても「考えていない」と否定した。 >衆院本会議で立憲民主党の大西健介氏の質問に答えた。 > 首相は3月、懇談会に関連して自民党の新人議員15人に10万円の商品券を配布。 >その後、自民関係者からは、岸田文雄前首相や安倍晋三元首相が商品券などを議員に渡していたとの証言が複数出ている。
‘皆で渡れば怖くない’ か。首相は伝統的な花咲じじいか。
> 自民出身の歴代首相で慣例化していた可能性も指摘されるが、首相は「自民党総裁、首相になった際、商品券の配布に関する申し渡しは受けておらず、慣行が存在していたとは認識していない」と強調。
大人には、現実 (事実) と非現実 (考え・哲学) があるが、子供には現実しかない。だから子供には知恵が回らないのである。 日本人にも現実だけがあって、非現実がない。これは日本語には時制が無いためである。 時制がないと、非現実の内容を載せる構文ができないからである。 このようなわけで現実の内容は日本人に説得力を持つが、非現実の内容は説得力を持たない。その結果、猿真似・後追いは得意であるが、創造力に乏しい。猿真似・後追いの優劣は人間序列の判定に使われている。 日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がないことになるので、 日本の文化には形式 (儀式) があって、内容 (教義) が無い。 日本人の生活は、生まれた時には宮参りをして、結婚式はキリスト教会で行う。葬儀は葬式仏式で済ませばよい。これで過ごす事ができれば万事万々歳である。 内容を考えなければ、矛盾ということも気にならない。 だから、思考を停止している日本人には理屈にも価値がない。 日本人は思考を停止している。考えが無いのであるから、考えを変えるということも上手く行かない。 日本人は内容 (非現実) が無いだけ、それだけ余計に形式 (現実) には拘る。それで改革運動の妨げになることが多い。結果的に日本人は守旧派の人達になっている。
>歴代首相の配布についても「承知していない」と述べた。 > その上で、立憲などが求めている過去にさかのぼっての実態調査に関しては、「具体的な根拠に基づいて何らかの違法行為が指摘されているわけでもなく、個々の政治家の一つ一つの行為について調査を行うことは考えていない」と否定した。 (藤原慎一)
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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