11月2日に行きました。ダルマチア地方の最南端にあり、クロアチアの飛び地であり、クロアチア本体への道路はボスニア・ヘルツェゴビナを経由したものしかありません。ドブロヴニクは7世紀に、スラブ人(現クロアチア人)に追われたローマ人が岸から少し離れた岩礁に作った街だそうです。12世紀にスラブ人の町とローマ人の町が合併し、間の海峡を埋めて現在のドブロヴニクが完成。一時はヴェネチア共和国の支配下にも入ったが、14世紀に独立、貿易国家として繁栄し、小国でありながら巧妙に独立を維持し続けました。「アドリア海の真珠」と呼ばれた海洋都市国家でした。19世紀ナポレオンの指揮下に入る。ナポレオンがオーストリアに敗れた1815年、ウィーン会議でクロアチア・ダルマチアはオーストリアの支配下に入る。第一次大戦後にユーゴースラビアとなる。旧市街は周囲2キロの高い城壁に囲まれています。13年前のクロアチアの独立戦争で、見晴台のスルジ山のケーブルカーがセルビアの艦砲射撃で破壊されたそうで、今は電柱の一部が残っています。街にも被害跡があるとのことでしたが、私には見えませんでした。城壁は有料で歩けるようになっており、上り下りが激しいそうであり、しかも一方通行、決められた集合時間に遅れるといけないなで私は敬遠しました。団体旅行の悲しい所です。 車やバスで観光に来た人たちの入口のピレ門です。早朝は人通りが少ない。正午頃は渋滞気味でした。地図の矢印の所です。(拡大して航空写真に切り替えてください)メインの通りのピラツァ通り。 市庁舎とスルジ山(ケーブルカーがあった)ドミニコ修道院の前で 港 港前の門 グンドリッチ広場