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2008年12月04日(木) 

11月2日に行きました。



ダルマチア地方の最南端にあり、クロアチアの飛び地であり、クロアチア本体への道路はボスニア・ヘルツェゴビナを経由したものしかありません。



ドブロヴニクは7世紀に、スラブ人(現クロアチア人)に追われたローマ人が岸から少し離れた岩礁に作った街だそうです。12世紀にスラブ人の町とローマ人の町が合併し、間の海峡を埋めて現在のドブロヴニクが完成。一時はヴェネチア共和国の支配下にも入ったが、14世紀に独立、貿易国家として繁栄し、小国でありながら巧妙に独立を維持し続けました。「アドリア海の真珠」と呼ばれた海洋都市国家でした。



19世紀ナポレオンの指揮下に入る。ナポレオンがオーストリアに敗れた1815年、ウィーン会議でクロアチア・ダルマチアはオーストリアの支配下に入る。第一次大戦後にユーゴースラビアとなる。



旧市街は周囲2キロの高い城壁に囲まれています。13年前のクロアチアの独立戦争で、見晴台のスルジ山のケーブルカーがセルビアの艦砲射撃で破壊されたそうで、今は電柱の一部が残っています。街にも被害跡があるとのことでしたが、私には見えませんでした。



城壁は有料で歩けるようになっており、上り下りが激しいそうであり、しかも一方通行、決められた集合時間に遅れるといけないなで私は敬遠しました。団体旅行の悲しい所です。



 車やバスで観光に来た人たちの入口のピレ門です。早朝は人通りが少ない。正午頃は渋滞気味でした。地図の矢印の所です。(拡大して航空写真に切り替えてください)





メインの通りのピラツァ通り。





  市庁舎とスルジ山(ケーブルカーがあった)





ドミニコ修道院の前で   

 



    港            港前の門

      





 グンドリッチ広場     


閲覧数468 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/12/04 00:13
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