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2010年05月28日(金) 
   昔からあって、私が知らなかっただけなのか。

   昔々の学生の頃、同じ教室の同期に作曲もやるのが居ました。彼は当時はまだ百万遍にもあった名曲喫茶「らんぶる」にごっそりスコアを預けており、それを見ながら曲を聴いていました。当時「らんぶる」は前方にスピーカーが置いてあり、座席は列車のように前方にむかって座るようになっていました。隣同士で談笑していると睨まれるような雰囲気でした。

   私も彼の真似をして、スコアを預けることはしませんでしたが、それを見ながら聴く習慣が次第に付いて行きました。

   音楽観賞において、安易に主旋律のみを追いかけることが多いのですが、楽譜を見ながら聴くと主旋律以外のパートの動きも聞こえるようになり、メロディーと伴奏パートの絡み合い、対位的な動き、和音的な動きなどの変化が聞こえ、理解力が深まります。

   ところがそれに釣られて、譜面の構成に気を取られていている内に譜読が演奏に遅れ、迷子になって演奏場所が判らなくなることも多いです。

   今は演奏場所が見える動画が出来ているのですね。これは便利です。迷うことなし。

   組曲アリア http://www.youtube.com/watch?v=E2j-frfK-yg&feat…re=related

   フーガの技法http://www.youtube.com/watch?v=xY_GMnQvj6E&feat…re=channel

   下記は譜面はありませんが、各パートの動きはよく判ります。
   トッカータとフーガ ニ単調
http://www.youtube.com/watch?v=ipzR9bhei_o&feat…re=related
   トリオソナタ
http://www.youtube.com/watch?v=RAP5fL84sKw&feature=fvw
   ブランデンブルグ協奏曲6番
http://www.youtube.com/watch?v=JTQsxs0mzc0&feat…re=channel

   ここではBachの曲のみを引用しましたが、他の作曲家のも沢山あるようです。

   楽譜のオタマジャクシ自体が演奏につれて光って行くのもあってもいいと思うのですが、まだ見つかりません。

閲覧数1,867 カテゴリ日記 コメント9 投稿日時2010/05/28 00:50
公開範囲外部公開
コメント(9)
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  • 2010/05/28 09:29
    korochanさん
    コッチさんは、京都で学生時代を過ごされたのですね?
    懐かしいでしょう?

    私も、学生時代を京都で過ごしたので、京都市内に行くだけで、
    そのころに、タイムスリップしてしまします。

    そんなに楽しい学生時代では、なかったのに、振り返れば、
    あのゆっくりしたボーとした時間が懐かしいです。
    みんな悩みの真っ只中に居たんですけどねー

    旋律の話ですが、そんなものがあるとは、知りませんでした。
    今日は、朝から、バッハ聞いて、懐かしさに浸ってました。

    ありがとうございました。
    次項有
  • 2010/05/28 14:37
    名曲喫茶「らんぶる」懐かしいですね
    あの辺では超有名な喫茶店でしたから~
    名前を聞いただけで、若いころを思い出しました

    スコアを見ながら歌うことは多いですが
    聴く時はあまり見たことがありません
    指揮者の方は見るだけで頭の中にアンサンブルがながれているんでしょうね。

    「G線上のアリア」
    最初は「G線城のアリア」と思っていました
              (G線城のアリア姫かと~笑)
    本当を知ったら夢がなくなりましたけど・・・・(^_^;)
    次項有
  • 2010/05/29 01:10
    鉛筆コッチさん
    korochanさん

    京都昔話は昨年6月にMIYUさんの日記で よっちゃんさんを含めて盛り上がりましたよ。

    http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…09&m=6

    今、気付きました。最後のいけさんさんの書き込みに回答していませんでした。

    もう時効ですね。

    korochanさんの学生時代の悩みって何だったのでしょうね。
    現在の人格形成の重要な要素になった悩みでしょうか。
    次項有
  • 2010/05/29 01:27
    鉛筆コッチさん
    よっちゃんさん

    もう「らんぶる」はないようですね。新宿や高田馬場、銀座の店は大きかったのに、百万遍の店は小さかった。

    百万遍の少し南(テニスコートの隣)に菓子屋があり(名前が出てこない)、その2階もいい装置を置いていましたが、こちらはいつも空いていました。ここでビバルディの「四季」をよく聴き、勤め人になって最初に「四季」のLPを買いました。

    「G線城のアリア姫」;夢がある~。しかし王子様が出てこない。
    次項有
  • 2010/05/30 07:33
    korochanさん
    コッチさん

    一年前の、京都昔話談義読ませて貰いました。。
    懐かしい名前が満載です。

    私は、植物園横の大学に当時通ってて、一乗寺上終町に下宿しており、哲学の小道、南禅寺、今出川通り、東大路通りなど、いつも
    うろついてました。
    私は、進々堂さんは大好きで、よく本、片手に行ってました。
    その辺の古本屋さんにも、よく行ってました。
    「らんぶる」は、たぶん行ったことあると思います。
    「六曜社」は、よく行ってました。1,2年前にも、一度時間潰しに入りました。変わってなかったです。
    「わびすけ」「しあんくれーる」「ミューズ」全部行った事あります。
    出町の「豆もち」は、娘が同○社に行ったので、京阪出町柳駅で下り、出町の商店街をあえて通り、いつも、「豆もち」の行列を、横目で見ながら、通りすぎてました。

    懐かしいですね。
    京都市内を歩くと、完璧に学生時代にタイムスリップします。
    私は、暇な学生時代を送ったので、いろんなとこをうろつきました。
    吉田山にも上り、節分祭にも、行った事あります。
    京大にも、勝手に入って、散策した事あります。
    鴨川懐かしいでーす。

    私の学生時代の悩みが、今の人格形成の重要な要素になったかどうかは、定かではありませんが・・・
    理系の勉強をしてて、一浪して、文系の学部に入り(社会福祉学科)何か、授業がやたら面白くなかったです。
    結構うちの学校は、第一志望でない人が沢山入学しており、あまり、明るく燃えてなかったです。
    青春の悩みは尽きませんでした。

    今となれば、それも懐かしいです。

    センメタルジャアニー♪
    次項有
  • 2010/05/30 18:35
    鉛筆コッチさん
    korochanさん

    私がいたころは、上終町は市バスの終点であり、銀閣寺通-錦林車庫-天王町 あたりは市電の乗客も少なく、人通りもひっそりしていたように記憶します。

    今は広い白川通が北に延びて、賑やかになりましたね。瀟洒なイタリアレストランなどが並んでいるのはないでしょうか。今様浦島の感ありです。

    会社務めを始めてからは琵琶湖畔から仕事終了後に田中関田町に通いましたが、夜でもあり、浜大津から出る最終バスが早いので京都をうろうろすることもありませんでした。今は江若鉄道の代わりにJRが通りましたので、遅くまで大阪で遊んでいても乗り換えなしで帰れる筈です。

    授業は私も面白くはなり得ませんでしたが、悩むことはありませんでしたよ。元々が不真面目故、遊び回っていたのでしょう。
    次項有
  • 2010/05/31 22:35
    korochanさん
    はい、上終町は、私が居た時も、そんな感じでした。

    最近は、かなり開けて来たと思います。
    天下一品というラーメンやさんが、白川通りと、北大路通りの交差点に、当時屋台としてありました。
    現在は、押しも押されもせぬ大きなチエーン店に発展してます。

    私は、親が裕福ではなく、子供4人教育に注いでくれたので、
    たぶん、私は、意味を考えたのだと思います。

    上3人は、夫々、有数の国立大学に進みました。
    私は、最後の砦で、唯一の理科系として、父に期待されました。

    でも、一浪までしましたが、その期待に沿うことは、出来ませんでした。だから、勉強もしてないのに、大学に通う意味を考えたのだと思います。
    親が、裕福だったら、おそらく気楽に学生生活をエンジョイしてたと思います。

    私は、在学中に父を亡くしました。
    一応学校は、卒業しましたが、何か物足りぬものを感じました。

    私は、それから、何年かして、自力で、看護短大に行きました。
    (京都市立だったので、学費がとても安かったです。しかも、奨学金を貰いながら)

    故に、私は、大学を2つ行きました
    ご丁寧にね。
    次項有
  • 2010/06/01 16:13
    鉛筆コッチさん
    korochanさん

    私の始めの下宿は北白川仕伏町でした。大学まで遠いし、飯にありつくのも大変なので、しばらくして吉田神楽岡町に移りました。こちらは10分程歩けば外食券食堂がありました。

    深夜過ぎには銀閣寺道の屋台ラーメンへ(ますたにが閉まってから)。時々作る数を間違えて余分にもう1杯食べさえてもらったことも何度かありました。その頃はどうってことのないラーメンでしたが、その後にコッテリラーメンの天下一品となったようですね。

    末っ子が学生で京都にいた頃にはまっていたようです。東京の五反田かどこかの支店には行ったことがあります。あまり感心しませんでしたが、末っ子の言によれば二~三度行けば病み付きになるとか。


    大学を二つ卒業されるとは立派ですね。私はそれほどには向学心はありませんでした。学部にいるときは遊び回っていましたので、反省して少しは勉強しようともう2年行きましたが、同じことでした。次の3年はムダだろうと就職しました。一緒にいた二人の友はもう3年行って教授になりました。内の一人は学会長にまでなりました。彼らは私とは出来が違うようです。

    korochanさんは二度目の勉強の成果がお仕事になったのですね。
    次項有
  • 2010/06/01 20:49
    korochanさん
    はい、その通りです。

    でも、何故かその気だるい最初の学生時代が懐かしいのです。
    あのゆっくりした時代が良かったのかなー
    フォークもいっぱい聞いたし、ジャズ喫茶にも行ったし、シャンソンにも傾倒したし、古本屋巡り、神社仏閣巡り、哲学の小道の散策、半木の道の散策、そして植物園は我が庭のようでした。
    当時、テニス部と茶道部に所属してたので、宝ヶ池までのランニングとかありました。
    茶道は、京大の数学の教授がお茶の顧問でしたので、土曜の午後
    大学よりも、北にある先生宅(庭つきの茶室)にお稽古に通うのが楽しみでした。

    本当に、センティメンタルジャアニーです。
    次項有
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