1884年夏の南大西洋での事件。 イギリス船が沈没し、乗組員4人が救命ボートで漂流。持ち出した食料はカブの缶詰2個で飲料水はなし。 一番若い乗組員は雑用係で17歳。孤児であった。彼は渇きに我慢できず、他の3人の制止を振り切って海水を飲み、沈没から19日目にはすっかり衰弱してもう命は長く保たないと推測された。衰弱の軽い、それぞれ家族を持っている3人は相談の上雑用係を殺害し、彼の肉で命を繋いだ。 24日目に通りかかった船に3人は救助された。 3人は逮捕され起訴された。1人は検察側の証人になったので裁判に掛けられたのは2人のみ..。(イギリス制度はよく判らないね). 弁護士は事実を争うことはなく、雑用係の死がなければ24日目まで3人は生き残れなかっただろう…と主張。 雑用係が自然に死ぬまで待ったとき、3人が救助されるまで生き残れない可能性については記載されていない。 さて、日本の裁判員諸君! 2人を有罪としますか? (よく考えてから次ぎに進んでください。) …………… 勿論種々の可能性があるが、1人を犠牲にしたことにより3人とその家族を救った…と云える。 命の計算は -1+3+α=2+α となり、この事件では 2+αの命が助かったことになる。これは正義と思うならば貴方は功利主義者だ。 正義とは人類の苦痛を出来るだけ少なくし、幸福を最大化することである…と考えるのがベンサムの唱えた功利主義である。簡単に言えば最大多数の最大幸福が正義なのだ。 幸福は最大化されても、その為に人の命を奪うことに躊躇いを感じる貴方は功利主義者ではない。一人を犠牲にすると検察は殺人罪容疑で起訴に動くだろうが、法律は正義とは関係ない。 私は今の世の中は功利主義がまかり通っている面も結構あると思っています。 私の日記http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 ![]() 戦争が起こると、軍人のいくらかの割合の人は死ぬ。国民の大勢の命を救うために認められた死だ。これも功利主義に基づくのだろう。 ハーバード大学の講義では、雑用係の若者が自分を食べることを申し出たり、食べて貰うために自殺したらどうだ…との話しも出たようだが、宗教の話しになりそうなので、ここでは無視。 さて実判決は? その結果についてサンデルは記載していないが、法律は正義と関係ないので、彼には関心がないのだろう。Queen v. Dudley and Stephens. 14 Quenn Bench Division 273 , 9.December 1884 を調べられたし。 |