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2012年01月07日(土) 
1. 色即是空・空即是色とは     つづき

●1-4 六道輪廻の人生の後に来るものは皆同じ

   我々の人生をよくよく見渡してみますと、まさにこの「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上」という六つの世界、これを「六道」と呼びますが、これを回り続ける人生となります。そして、これを「六道輪廻の人生」と言うのです。儲けたかと思えば失い、失ったかと思えばまた儲ける。この繰り返しです。

   そして、我々がこうした境地から離れようとする時、一体何が残るのでありましょうか。残るものはただ一つ。それは何かと言いますと「疲れ」です。

   「ああ、疲れたわい」と、これだけです。そして、この後に必ず来るものがあります。こればかりは空くじなしの大当たり。それは、「死」というものです。

   「我や先、人や先、今日とも知れず、明日とも知れず」と申します。人は100パーセント死ぬようになっております。死ぬ時に、今まで一生懸命頑張って築いたお金も、財産も、地位も、名誉も、快楽も、あの世にもってはいけないのです。全部この世に置いて去っていく。

   このような人生が本当に幸せですか? 仏教はそう訊ねます。そうすると、皆様は何と空しいな、とお気づきになるかと思います。これが大事なところです。

   ではなぜ、空しくなるのでしょう? それは、私達の人生の目的が、お金の追求、財産の追求、地位や名誉の追求、快楽の追求という、「欲望の追求」にあるからであります。こういう欲望を、仏教では総称してただ一字で「色」と表現をするのでございます。

●1-5 欲望を生む根源―――煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)

   さあ、そうしますと、ここまで「色」と「空」という二つの文字が出てきました。賢明な皆様方は、「あ、あの言葉だ」とお気づきになったかと思います。そうです。先程、私達が味わいました、「般若心経」の教えに出てくる、要の言葉です。

   この間に、二つの言葉が入ります。これは単なる接続詞でございまして、大した意味はございません。「即是」という接続詞です。「これ、すなわち」という意味です。

   これを、上から読みますと「色即是空」、下から読みますと「空即是色」となります。「色即是空、空即是色」。般若心経に出てくる核心の教えであります。この意味するところは、「欲望を追求する人生は、これ、すなわち空しい」と説かれてあるのです。また、「空しい人生とは、これ、すなわち欲望を追求して生きることである」と、このような教えが、般若心経の一番中心に据えられているわけでございます。

   なぜ、私達は、虚しい人生になるのが分かっていながら欲望を追求するのかと言いますと、それは、私達の自我というものによります。自我、昔の人はそれを「煩悩」と呼びました。煩悩です。自我とも、煩悩とも言います。すなわち、心の汚れです。

   そして、これが何と百八つある、というのです。煩悩を百八つも抱えて生きている。これでは大変だろう、ということで、お寺では毎年暮れの大晦日の夜に、百八つの除夜の鐘をつきまして、綺麗に皆様の心の中に巣くう煩悩を清めるという行事をやっております。

   ところが人間は愚かでございますから、一夜明けたお正月にはちゃんと百八つの煩悩がまた備わっているというわけです。払えども、払えども尽きない。これをまた煩悩と言うのでございます。

   それでは、なぜ、煩悩の数は百八つなのかと申しますと、心の汚れを百八つも備えておりますと、人生、四苦八苦します。辛く、苦しい思いです。ここに答えがあるのです。

   四×九(しく)=三六、八×九(はっく)=七二。これを足しますと、108になります。このように、数が多いことを指した言葉でございますが、煩悩の数が百八つであるというのは、こういう道理なのです。

   ところが、この108の煩悩の総元締めというのがあります。それは三つありますので、これを「三毒」と言います。あるいは「三悪」と書いて、仏教では「さんまく」と呼びます。では、その三つは何かと言いますと、一つ目は「貪(とん)」、二つ目は「瞋(じん)」、そして三つ目が「癡(ち)」です。昔から貪瞋痴、貪瞋痴と言いますでしょう。これは、煩悩の親玉である三毒を指した言葉なのです。

   では、「貪」は何か。この言葉の後ろに「欲」という字を書いて、「とんよく」と読みます。辞書を引いていただきますと、「どんよく」というように濁っておりますが、仏教では濁らずに「とんよく」と読みます。自分さえよければ、自分さえ儲かれば、という欲の心です。これを「貪欲」と申します。

   二つ目の「瞋」は、後ろに「恚(に)」という字を書きまして、「瞋恚(しんに)」。要するに、ねたみ、そねみ、やっかみ、怒り、という心の高まりを申します。「瞋恚」と言います。

   それで三つ目は、前を空けてありますので、その前に「愚」という字を書きます。それで、「愚痴」となります。「愚痴」は何かと申しますと、目先に囚われる愚かさを言うのでございます。目先に囚われる。株が上がる等という情報を聞いて買いに走ったものの、バブルが崩壊して株券が紙屑同然になった、というのは必ず目先のことに囚われる愚かさです。そして、「あの時、株なんか買うんじゃなかった」と愚痴を言いますので、これを「愚痴」と言うのでございます。

   煩悩は、「貪欲」「瞋恚」「愚痴」、この三つによるのでございます。

                       (つづく)

     ……………………

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閲覧数620 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2012/01/07 09:37
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