1912年2月14日中国雲南省・昆明で
生まれた聶耳(ニエアル)。
彼はオリンピックやアジア大会、サッカー大会など
で我々も良く聴く中国国家の作曲者として知られる。
その彼が82年前の一昨日(1935年7月17日)
鵠沼海岸に海水浴に来て、遊泳中に水死した。
今日も曇り空の湘南、一昨日は午前中雨で寒かった。
彼が死んだ日の天候は未調査ですが、心臓麻痺でも
起こす様な引き波か寒さがあったのでは。
わずか23歳の若さでの死。
現在は藤沢市が引地川沿いの公園内に
『聶耳(ニエアル)記念碑』
を建てて彼を偲ぶことが出来る。
この碑は日中関係がギクシャクすると落書き等が問題
視されるのでビニールで覆ったりしてやや判りにくい
のが残念。
また漢字は、彼の作曲者名で耳が3個と更に耳を重ねて
いてこれが読めない。
この碑には振り仮名がないので、「にえある」と覚えて
江ノ島や鵠沼に遊びに来たら寄って下さい。
彼の本名は「守進」で字名は「子義」(異論もある)。
1930年昆明から上海へ移動、その後1935年日本へ
亡命。その後まもなく神奈川県の湘南海岸で死を迎える。
国家になった「義勇軍行進曲」は当初は映画の為の曲。
1949年9月の国家と定められた。
画像:ニエアルの写真
補足:昨日の茅ヶ崎北陵の試合は8-4で武相に勝った。
柴田君は2本の2塁打など。永島投手は完投で頑張っ た。
明日は保土ヶ谷で午後2時半からTVKで放映です。