1,139万kW/1,764万kW (09/27 02:25)
64%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=163488
2007年07月19日(木) 
1912年2月14日中国雲南省・昆明で
生まれた聶耳(ニエアル)。

彼はオリンピックやアジア大会、サッカー大会など
で我々も良く聴く中国国家の作曲者として知られる。

その彼が82年前の一昨日(1935年7月17日)
鵠沼海岸に海水浴に来て、遊泳中に水死した。

今日も曇り空の湘南、一昨日は午前中雨で寒かった。
彼が死んだ日の天候は未調査ですが、心臓麻痺でも
起こす様な引き波か寒さがあったのでは。

わずか23歳の若さでの死。

現在は藤沢市が引地川沿いの公園内に
『聶耳(ニエアル)記念碑』
を建てて彼を偲ぶことが出来る。

この碑は日中関係がギクシャクすると落書き等が問題
視されるのでビニールで覆ったりしてやや判りにくい
のが残念。
また漢字は、彼の作曲者名で耳が3個と更に耳を重ねて
いてこれが読めない。
この碑には振り仮名がないので、「にえある」と覚えて
江ノ島や鵠沼に遊びに来たら寄って下さい。

彼の本名は「守進」で字名は「子義」(異論もある)。
1930年昆明から上海へ移動、その後1935年日本へ
亡命。その後まもなく神奈川県の湘南海岸で死を迎える。

国家になった「義勇軍行進曲」は当初は映画の為の曲。
1949年9月の国家と定められた。

画像:ニエアルの写真

補足:昨日の茅ヶ崎北陵の試合は8-4で武相に勝った。
  柴田君は2本の2塁打など。永島投手は完投で頑張っ  た。
  明日は保土ヶ谷で午後2時半からTVKで放映です。




閲覧数1,022 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2007/07/19 15:03
公開範囲外部公開
コメント(3)
時系列表示返信表示日付順
  • 2007/07/19 18:34
    中々凛々しい青年だったんですね。
    お名前が耳だらけっていうのは、意味があるんでしょうか。音も中国的ではないし・・・

    昨今、中国の驚くべきことばかりが露呈していますが、その昔、きっともっと正々堂々としていたんだと思えて・・・
    日本もいえた義理はありませんが、「ご先祖様が泣くよ」と思うこのごろであります。
    次項有
  • 2007/07/20 10:54
    昔の人は早く成人したようです。

    特に早く死んだ人は人生が早く進んでいます。
    この雲南の青年もそうですね。

    18歳で昆明からベトナムへ出てそこから船で
    上海へ。5年間の残りの人生をフルに活動。

    耳だらけの名前は作曲を目指して耳が大切と
    想ってこんな名で曲を発表した。
    36曲程度が現存していて行進曲風のものの
    評価が高いようです。

    来年は北京五輪ですので、彼の作曲した国家を
    何度も耳にすることでしょう。
    4回では済まないでしょうね。
    次項有
  • 2007/07/20 11:38
    なるほど・・・心して効きたいと思います。
    中国国歌・・・
    次項有
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
池田晴哉@湘南茅ヶ崎さん
[一言]
■この日はどんな日
書き込みはありませんでした。
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み