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2014年08月14日(木) 
   お盆の行事;親戚一同があつまって、故人をしのんだり、お坊さんの説教を聞いて死について考えたりすることは、楽しくて有意義なことだと思います。ただそれは遺族にとってのことであり、故人もしくはその霊には無関係だ…と私は考えます。

   昨年も冷やかしたことを書きました。
   http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30

   私は知りませんでしたが、親鸞聖人も死者の霊がお墓に来ることは絶対にない…と云っていたそうですね。
「弥陀に救われている人は、死ねば浄土へ生まれて大活動するから、当然、墓石の下などにはいないし、救われていない者は、後生、永く苦患を受けなければならないから、これまた墓に集まることなどできることではありません。」のだそうです。
当然に仏壇にも来ない。
http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0423.htm

   私は死後に個としての意識持ったもの(魂?霊?)が存在し得る…とは思えない(これは親鸞聖人と相違する)ので同感です。あの世に行けば懐かしい人々会える…なんて考えたこともありません。懐かしい人々の面影もしくは人格を持った個別の存在がどこかに居たり、また神経が死滅した後であるにもかかわらず何かに出会ってそれが懐かしい存在であるかどうかを認識できる理屈が判らない。死に対するおそれから逃げるためにそう思い込むのは個人の自由でしょうが…。懐かしい父母に会える…と考えることで死と向き合うことを避けるのも気楽でいいかも知れない。死と向き合ったから…といって、後何らかの効果が出てくる筈もないでしょうからね。

   「仏教で葬儀が開かれる意義は、参列した人が、亡くなった方をご縁として無常を見つめ、真実の仏教を聞き、本当の幸せに救い摂られることにのみ、あるのです」
http://kazoku.sub.jp/etc/090525sougi.htm

   死者の魂云々かんぬんは民話・説話とし、それとは別に有意義な行事を楽しみましょう。

   玄関に送り火や迎え火を灯したり、暑い夏の夕暮れに涼しい河原で灯籠に灯をともし、ゆらゆら流れて行くのを静かに見守る…なんて後世に残したい日本的な美しい行事ですね。

   我が家にもお墓や仏壇はあります。家内が仏壇には花を飾ったり、もらい物の果物を供えたりしていますが、そうやって故人を思いやることはいいことだ…と思っています。お墓は遠いので、何年かに一度しかお参りしませんが、近くにいる弟は毎年行っているようです。
   お参りの頻度が少ない…とご先祖様がむくれる…なんてあり得ない筈です。

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閲覧数2,073 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2014/08/14 16:45
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2014/08/14 18:13
    ヒッチさん
    私も全く同感です。佛教は生きる為に有ると思います。

    親鸞は自分の墓も要らんと言いました。

    遺体は鴨川に流し魚のえさにしてくれ、とまで言いました。

    合理的です。私は死んだら終わりだと思います。
    次項有
  • 2014/08/14 20:46
    イアンさん
    難しいことは抜きにして、一般論として私もお盆の行事を有意義な行事として受け入れています。
    とかく個に走りがちな昨今の世の中、家族と言う縁で和やかな機会が持てるのは素晴らしいことだと思います。・・・直近のご先祖を懐かしそうに話す爺ちゃん、自分の生活・人生を語る父ちゃん、傍で‘おはぎ’をちらちら見ている子供たち・・・時間と空間を共有する人間ども、愉しいじゃないですか。亡き人が与えてくれる贈り物です。
    次項有
  • 2014/08/14 21:46
    鉛筆コッチさん
    kata0133さん

     僧職にある人は、墓地の売り出しや戒名代稼ぎに励むだけではなくて、人生の導師として教育活動のためにもっと学校に出入りしたり、また死期に近い人のためのビハーラ活動(仏教ホスピス)に病院を出入りするようにしてほしいですね。

    .
    次項有
  • 2014/08/14 21:57
    鉛筆コッチさん
    イアンさん

    我が家では暑いのでお盆の行事はめったにやりませんが、昨年春母の27回忌に東京や大阪の兄弟と集まり、法要と食事会をやりました。皆腰が痛かったり、足が動きにくかったり…。多分これが最後の法事になるね…と云いながら。

    お盆の行事を楽しむのはいいことですが、8月15日にやることには何の意味もないと私は思うので、暑い民族大移動の時期は避けたいですね。
    年寄りの集合は大変です。

    .
    次項有
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