高田渡がこの曲を歌ったのは1968年で、この曲で注目されるようになった。
ところが自衛隊から正式にPRソングとして採用させてもらいたいとオファーがあり、自衛隊を批判する歌なのにと、多いに困惑したらしい。
後になってからはこの曲を封印し、2005年に死去するまで歌うことは無かった。