花房尚作氏 |
>集英社オンライン >「目上の者に逆らうな」「弱い女性を守る」日本の田舎に時代錯誤の価値観が蔓延しがちな理由 >13時間・ >〈「過疎地域で年収300万円を超える求人はトラックの運転手だけ」でも幸福度は都市部より高い? 田舎をめぐるネガティブな言説のウソとホント〉から続く >にわかには信じられないかもしれないが、過疎地域では現在でも「女性がでしゃばるな」「若いくせに生意気を言うな」といった言葉がつかわれている。 >いったいなぜなのか。 >花房氏の書籍『田舎の思考を知らずして、地方を語ることなかれ 過疎地域から考える日本の未来』より一部を抜粋・再構成し、その背景と、田舎の若者が都市部でぶち当たる壁について解説する。 >田舎の役割文化 >田舎の役割文化について述べる。 >過疎地域では現在でも「女性がでしゃばるな」「若いくせに生意気を言うな」といった言葉が使われる。 >女性や若者の意見は軽く扱われるのが一般的だ。 >その背景には古の時代から続く役割文化が二つ隠れている。 >一つ目は、男女の役割文化だ。 >私たちは幼い頃から、「男女はこうあるべき」といった固定観念を刷り込まれて育つ。 >たとえば、男性は弱い女性を守る、女性は強い男性に頼る。 >この固定観念は、「弱い女性を従わせる」といったDVやセクハラの温床にもなっている。 >とくに第一次産業は男女の役割が限定される。 >男性は荷運びや機械を扱う等の力仕事や面倒事を担う。 >女性は選別や包装等の細かい雑用を担う。 >「力仕事や面倒事は男性に任せておけばよい」といった考えが女性の側にある。 >男性の側も女性から任せられることを望んでいる。 >つまり、地域の産業構造によって男女の役割が違う。 >対して欧米の場合、大型の農業機械を扱うのは専ら女性だ。 >地域会合に出席する代表者も専ら女性である。 >「機械仕事や面倒事は女性に任せておけばよい」といった考えが男性の側にある。 >女性の側も男性から任せられることを望んでいる。 >欧米では「男女の機会均等」という西洋思想の流れの中で、性別で役割が規定されないよう様々な工夫がされてきた。
そうですね。思想は非現実の内容ですね。
>立法措置を含めて意図的に固定観念の排除を図っている。 >固定観念を受け入れる私たちの東洋思想とは大きく異なる点である。
そうですね。固定観念は現実の内容ですね。
>世代の役割文化 >二つ目は、世代の役割文化だ。 >農耕は地域に定住して変化のない日常を求める。 >そこでは「昔ながら」をよく知る高齢者が重宝される。 >若者は高齢者から種まきや田植え、収穫時期等の知恵と工夫を教わる。 >高齢者は地域の歴史的背景や人間関係もよく知っている。 >おのずと年功序列の枠組みがつくられて、「地域のことは高齢者に任せておけばよい」といった考えが若者の側にある。 >高齢者の側も地域を担うことを望んでいる。 >つまり、変化が乏しい地域であるほど高齢者が重要な役割を担う。
そうですね。農耕生活は現実肯定主義オンリーですね。
>日本社会において役割は重要な意味を持つ。 >どのような組織に所属して、どのような役割を担っているかが、その人の価値になる。 >私たちは相手の役割の違いで自らの立ち位置を変えるし、それができない者は社会人失格の烙印を押される。
そうですね。我々は態度を大きくしたり小さくしたりしなくてはなりませんね。つかみどころのない人格でしょうね。
>そのため、所属組織での役割を失うと扱いがとたんに軽くなる。 >だからこそ、高齢者は亡くなるその日まで手に入れた役割を保とうとする。
そうですね。高齢者は自己の序列に対する帰属意識が非常に強いですね。
>それでも都市部では、若者が「その役割を私たちに譲ってください」と高齢者に言うくらいはできる。 >なぜなら、他にやることを幾らでも探せるからだ。 >ところが、過疎地域の高齢者は他にやることを探すのが難しい。 >それを知りながら役割を譲ってもらうのが心苦しいのである。
そうですね。これは序列制度の欠点ですね。
>謙虚さが従順さに置き換わる >私たちは幼い頃から目上の者に従うよう促されて育つ。 >学生時代は先輩や教師に素直に従うよう教え込まれる。 >社会に出てからは上司に従うよう叩き込まれる。 >従わない者は、とんでもない者、悪影響を与える者、として叱られる。 >とりわけ過疎地域では従順であることが尊ばれる。
‘長い物には巻かれろ’ ですかね。日本人は序列社会の序列人間ですね。
>目上の者に逆らうのは恥ずかしい行為とされる。 >まわりからも「従っているだけでよい」「素直に頷くだけでよい」と諭される。 >そのような経験を繰り返しているうちに意見が言えなくなる。
そうですね。無哲学・能天気の人間ですからね。
>鹿児島弁に「議を言うな」という方言がある。 >「ぎ」とは議論や反論といった意味だ。 >かつては「議論を尽くしたあとは決定に従え」という意味だった。 >近年は「目上の者に逆らうな」といった意味で使われる。 >いつ頃からか、謙虚さが、従順さに置き換わった。 >この従順さは、目上の者の思考に依存し、自らの思考を放棄する。
そうですね。非現実の内容は手にするのが難しいですからね。無哲学・能天気が安住の地になりますね。
>スポーツの分野では優秀な指導者に巡り合うことで、トップアスリートになることがある。 >目上の者が優秀であれば、従うのも一つの手段だ。 >しかし、多くの場合において、従順さは都合のよい道具になる。 >たとえば、滅私奉公を褒め称えて従順な労働者をつくる。 >前例踏襲に従うよう促して既得権益の囲い込みを図る。
日本人には意思がない。だが意思のある所に方法がある。 Where there is a will, there is a way.
>従順さを道徳化することで、論理的に説明する技術や知識を身につける必要がなくなる。
そうですね。日本人の礼儀作法は序列作法ですからね。無哲学・能天気でも問題がない。
>過疎地域の若者たちが首都圏でぶち当たる壁が、この従順さだ。 >目上の者からの助言がないと何をしてよいのかわからない。 >自分で考えて行動できるようになるまで数年かかる。 >それでも20歳前後であれば決して遅くはない。 >それは数年で取り戻せる遅れでもある。 >従順さをいち早く捨てて、謙虚さを持って目標に向かって進んでほしい。
日本人には難しいですね。
>田舎の思考を知らずして、地方を語ることなかれ 過疎地域から考える日本の未来 >花房尚作 >2025/8/20 (略) >日本の国土に占める過疎地域の割合は約60%。 >「田舎は危機的状況にある」「過疎地域は悲惨」――。 >「田舎=過疎地域」にはネガティブな言説が付いてまわる。 >しかし、こうした言説の多くは「都心の思考」で発信され、「都市部の都合」を田舎に押しつけている。 >だが、田舎は本当に悲惨なのか? >都会の思考とは異なる合理性に裏打ちされた「田舎の思考」を明らかにし、過疎地域で暮らす人びとの日常を通して日本の未来を考える。
日本人には世界観がない。日本語文法には時制 (tense) というものがないので、非現実の内容を文にすることができない。過去・現在・未来とか前世・現世・来世とかいう非現実の独立した世界の内容を文の内容として表すことができない。 政治には未来の先取りが必要である。政治指導者は未来の世界の内容を国民に提示して理解を得て、国民を導く必要がある。わが国の政治家と国民にはそれがないから指導力が発揮できない。現実にとどまっているから、話が小さくなる。その日暮らしになっている。 我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。 英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。 英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。 子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。 未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。 意思を表すと加害者意識も経験することになる。 それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。 深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。 事故の原因究明がうやむやにはならない。
魂の救済を必要とする人も出て来る。 贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。 こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。 だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。 日本語は現実の内容だけを話す言語である。 日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。 だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。 嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。 難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。それで国のかじ取りが危うくなっている。
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