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2025年10月25日(土) 

 

>朝鮮日報   >韓国と日本が対等な隣国になるために【東京支局長コラム】   >9時間・   

> 日本のBSフジLIVE プライムニュースに「一筆」というアナログなコーナーがある。   

>番組が終了する直前にゲストがホワイトボードに筆で短く一言を書いて視聴者に示すものだ。   

> 1カ月前に「日韓は“真の隣国”か 首脳会談『思惑』分析」というテーマで行われた2時間のこの番組にゲストとして出演した。   

>一筆コーナーでは共にゲストとして出演した杉山晋輔元外務次官が「合意は拘束する」、慶応大学の西野純也教授は「信頼」と書いた。   

>「国家間の約束は政権が変わっても守るべきで、最後は信頼だけが真の隣国となる条件」という意味だった。   

 

政権を受け継ぐのなら、国家間の約束も受け継ぐことになりますね。   

 

> 記者は最後のCMの間にホワイトボードを渡され、しばらく悩んだ上で「韓国・日本は違う国だ」と書いた。    

 

そうですね。日韓は違うような似た国ですね。   

 

>「多くの日本人は互いによく似た外見と同じような言語から韓国に親近感を持っており、それは感謝しているが、その一方で『全く違った韓国』を発見し傷つくのを見た」「韓国と日本は全く別の国だという点をきちんと理解しなければ、良い隣人として長続きできないだろう」と説明した。   

 

そうですね。   

 

> 韓国のドラマや音楽を楽しみ、少しばかり韓国語を学んだ多くの日本人が「よく似た韓国」に魅力を感じている。   

>今のような「韓国ブーム」がなかった時代でもそのような日本人はかなりいた。   

 

そうですね。韓国国民は芸達者な国民ですね。   

 

>20年以上前のテレビドラマ『冬のソナタ』は40-60代の日本女性の「昭和感性」を刺激した。   

>自分が20代、30代だった1970-80年代の日本ドラマによくあった「運命的な愛と純愛の結果」への郷愁を韓国で見いだしたのだ。   

> しかしその後は独島問題や靖国神社問題など突発的な対立に当惑する。   

>先日東京で取材した『至極私的な日本』の著者・成川彩氏は「ある親しい韓国人のテコンドー師範が『独島はどこの国の島ですか』と質問してきたので『よく分からない』と答えると、『裏切り者』と言われびっくりした」という内容が記載されている。   

>韓国が好きな成川氏なら「独島は韓国の島」と答えると期待していたのだ。   

 

そうですね。成川氏は忖度のできない人ですね。   

 

> 主権国家の韓国と日本はどちらも国益を追求している。   

>日本政府が韓国人のための政策を進めることはなく、韓国政府は韓国人の幸せを追求する。   

>「スラムダンク」が好きな韓国人が韓国を愛しているように、BTSの熱狂的なファンの日本人も同じく日本を愛している。   

>「真の隣国になれるか」という日本側からの質問の背後には「李在明(イ・ジェミョン)政権はどうせ反日に立ち返るだろう」という疑念がある。   

> もちろんそうなる可能性もあるだろうが、私の答えは「違う」だ。   

>米国、中国、北朝鮮、台湾、ロシアなど周辺国・地域を見渡せば、今韓国にとって日本は共通の利害関係を持つ絶対に必要な隣国になっているからだ。   

 

そうですね。中国、北朝鮮、ロシアはすでに団結しましたね。      

 

>これは日本の政権政党である自民党の強硬右派とされる高市早苗新総裁にとっても同じだ。    

>韓国の「反日」が心配なら、日本は韓国が反日にならない外交政策を進めるべきだ。   

 

そうですね。   

日本語文法にも韓国語文法にも ‘意思’ (will) がない。だから両国民に加害者意識がなくて罪の意識がない。だから被害者が出ても十分な謝罪がない。被害者に満足が得られないから恨みの世界が存在する。謝罪があれば恨みが晴れる。 ‘できそうでできない’ 似たような国民性が存在する。   

両国の国文法には階称 (hierarchy: 言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の判断が常に発言に付きまとう。人を見損なってはいけないので応対に骨が折れる。   

 

>1人当たりGDP(国内総生産)が同じになった今こそ韓国と日本が共に未来を歩む対等な隣国となるべき時だ。   

 

西洋人の社会は ‘ため口社会’ ですからね。彼らは議論が自由にできますね。[ため口: 相手と対等の立場でものをいうこと]    

 

>東京=成好哲(ソン・ホチョル)支局長   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数7 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/10/25 18:28
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