厄介な人達 |
>スポニチアネックス >黒沢年雄、不満ばかり口にする日本人に喝!「贅沢が身に付いた、厄介な人達ばかり!」 >スポーツニッポン新聞社の意見・ >6時間 > 俳優・黒沢年雄(81)が25日までに公式ブログを更新し、不満ばかりを口にする日本人について私見を展開した。 > 黒沢は「国内では…米が高い、何が高い、生活が厳しいと言っているわりには…皆さんそこそこいい服を着て、福よかな顔をしている!」と切り出すと「街にいる浮浪者でも、顔色良く、太っている人もいる…食べる物はいくらでもある、何処でも水は飲める、トイレにも困らず、紙まである…ある国から見たら日本は天国!」と私見を展開。
そうですね。
> また「今の日本人は不満ばかり言っているが…贅沢が身に付いた、厄介な人達ばかり!」と喝を入れた。
そうですね。不自由を常と思えば不足なし。
> 「戦後生まれの昭和の人間にとっては、何の不満もない…不満ばかり言ってる人達は」とした「これ以上言ったら問題になるから…これで終わり(笑)」と結んでいた。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関に席をおいて自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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