長文、拝見いたしました。
これだけの長文を書かれる気力、これから努力しようと言う気力は凄いです。大丈夫!
最近のカナダではどこでもタバコは吸えません。日本の喫茶店でタバコが吸えるので驚いたぐらいです。
子育てしながらタバコを吸っている母親も良く見かけます。これまたビックリ。
煙草の心地よい雰囲気 京都は百万遍の東に進々堂なる喫茶店があります。厚い天板のテーブル、南側の大きな、一枚ガラスの窓。外では木枯らしが吹いているが室内は暖かい。灰皿に吸いかけの煙草を置いたまま外国語の本を読みふける学生。日当たりのよい窓際に漂う紫煙。親父も若い頃に通ったそうで、彼の案内で最初は行きました。 冬の足下のスチーム暖房の効いた長距離列車の三等車。昔は全て向かい合わせの四人がけでした。前の人がもそもそとポケットから煙草を取り出して火を付ける。窓ガラスに沿って煙が立ちのぼる。長距離列車ですから、楽しい旅行への行き帰りの楽しい雰囲気。 かすかな空気の動きに揺れたり渦を捲いたりしながらゆっくり登って行く紫煙。漂う香ばしい香り。 子供の頃から煙草の匂いは大好きでした。二十歳を過ぎたある日、煙草を吸っている親父に1本貰うよ…と声を掛けて最初の1本。新生かなんかの安物だった筈ですが、旨かった記憶があります。もう1本貰ったように思います。 次第に強い刺激をもとめてもっぱらニコチンの多い「光」がお好みになりました。金欠になれば「いこい」。 やがて琵琶湖のほとりに住むようになり、仲間とヨットを購入した頃、マドロスパイプに変更。湖の中程でヨットを止めて舳先に座って煙りをくゆらせるのが好きでした。 その後、大阪に勤務するようになり、元の煙草に戻り、ドンドン喫煙量は増加。会議が続くと1日60本に達することもあるようになりました。私の生活において煙草は完全な必需品でした。 はてな? 大阪の安ビルの狭い会議室で膝を突き合わせてもうもうたる煙の中で揉めていると天井の火災報知器が働いたらしく、煙草をやめろとの連絡がよく入りました。 やがて喫煙が肺ガンの原因になると言われるようになりました。そう言われても完全な必需品となっていて今更止められるっわけはない、罹った時はモルヒネよ…と嘯いていました。 その後、会社の役員から赤字が1日当たり20億円も溜まっていく沈みそうな泥舟から早く手を離してくれよ…と言われ、数人の仲間と手を離して別の船のあった静岡に移転。20数年前の早春、月月火水木金金と午前様が続いていた頃、何とか休日を作って大井川は畑薙ダムに車を止めて茶臼岳を目指しました。小鳥尾根のヤレヤレ峠で疲れがひどく、七窪沢小屋泊予定がウソッコ沢小屋でチン。翌日は頂上に行き着けず、雪に埋もれた茶臼小屋までで退却、仕事で疲労が溜まったのだろうと思っていました。 数年後の秋、車で早朝暗いうちに家を出て 昼過ぎに中央アルプス駒ヶ岳ロープウエイ下に到着。下の方はまだ残っている紅葉の風景を上空から楽しみながら千畳敷へ。 千畳敷から山小屋のある尾根筋に向かって急峻な道を登る時、やけに息苦しい。よく休むので、お婆ちゃん達に次々と追い越されていきました。腹囲が大分大きくなっていて、ニッカーズボンのウエストがはち切れそうだったので、その所為だろう、ズボンを買い直そうとその時は思いました。 喫煙者への警告 やがて63歳になった頃、我が家の寝室がある二階に上がるのが億劫になって来ました。寝床に入った後しばらく息が弾みます。これは尋常ではないと病院に行ったら、肺気腫だとか。ヘビースモーカーが60歳を過ぎると罹る人が多いとか。肺ガンは聞いたことはあるが肺気腫なんて聞いたこともない。 治療法を聞いたら、進行を遅らせることは出来るが、回復は不能とのこと。よろしくと頼むと、喫煙者には治療してもムダだからだめだと。肺ガンしかきいていないよ…そんなのはPR不足だよ…こんな所で脅迫するなよ… と喚いてみても意味がなさそうに思えたので、ニコチン入りのガムを貰って(当時は健康保険は使えなかった)泣く泣く禁煙。 三ヶ月ほどでやっと禁煙成功。医者に報告し、やっと気管支拡張剤を戴いて現在まで毎日飲んでいます。 その後、晩秋に奥鬼怒温泉から鬼怒沼へ登ったり、春の尾瀬に行ったりしましたが、登りは人の五割り増しの時間が掛かりました。家内に言わせりゃあ、登りの小生は苦しそうで見ていられないそうで、いつも先に登って見ないようにしろ、間違いなく登れるから…と言い合っています。 一昨年、肺ガン発見。こちらは当初から覚悟はしていたが、日常検診をサボッタ所為で早期発見ではありませんでした。即摘出手術。右下葉を取り去りたいが、肺気腫もあって呼吸困難がひどくなる虞あり…と部分削除と相成りました。家内は摘出された私の肺を見せて貰ったそうですが、煙草のタールで真っ黒だったとか。五年後までの生存確率70%とのこと(もう2年半になるので、後2年半です)。 医師から酸素吸入器を用意しようかと聞かれましたが、鬱陶しいのでいらないと断りました。酸素使用が必要にならないように、せっせと運動を始めました。ランニングは無理ですが、1時間に5キロ以上のウオーキング(動くベルトの上で)をほぼ週に二回実施。手術直後は会社で二階(家よりはかなり天井が高い)に昇ると息が苦しくて大変でしたが、今はゆっくりなら三階にも休まずに昇れるようになっています。近所の標高差100米ほどの丘にも時間を掛けて昇っていますが、300米なら行けそうです。何とか500米、1,000米と伸ばしたい。5000米登頂の可能性は大分低くなりましたが、まだ確率ゼロではないだろうと、一人で思いこんで頑張っています。隣のトレッドミルでは喋りながらランニングしたりしていますが、私はウォーキングでしかないのに空気を吸い込むのが精一杯で口もきけない激しい運動です。しかし、まことに徐々にですが運動量は伸びています。5000米の希望も捨ててはいません。 …と言った訳で喫煙者諸君! 喫煙を続けるのは勝手だが、肺気腫のことを勉強しておいた方がいいですよ。副流煙が家族に与える影響も学ばれたし。 |