3年前の今日、肺ガンの手術をやりました。その時、直腸ガンの手術をやってからもう5年も経過しているから、このガンは原発性でしょうね…との話しでした。
63歳の時に我が家の2階に上るのも息が苦しくなり、病院に行ったら喫煙による肺気腫だと言われて即禁煙。治療はできないが気管支拡張剤の助けで呼吸はなんとか確保。それから8年して肺ガン。肺気腫は病名も知りませんでしたが、肺ガンは承知。肺ガン末期は苦しいと聞いていたので、その時はモルヒネよ…とかねて嘯きながらの喫煙でした。いよいよ来るべき者が来たとの印象でした。陽子線照射にするか摘出にするか考え、値段の安い手術を選択。ガンの大きさは35ミリ。そんなに大きくもないが、極初期という訳ではない。医師は右下葉1枚取り去りたいが、肺気腫患者には呼吸機能の低下による負担が大きいだろうから、患部周辺の切除のみにする……との事。私にはコメント不能。おおせに従うのみ。
立ち会った家内は切除した肺を見せて貰っており(何故持ち主に見せないのだろう)、真っ黒だったわよ…とのこと。50年間、毎日せっせとタールを吸い込んでいたからなあ。手術後に医師は酸素吸入装置の用意を薦めましたがボンベから離れられなくなると鬱陶しいのでお断り。
手術の数年前、スポーツ用具店で売っている運動用酸素吸入器を持って奥鬼怒温泉から鬼怒沼に登りました。登り二時間半のコースに四時間かかってたどり着き、皆が下った後の鬼怒沼を一人占めにしました。昔ならそのまま尾根沿いに尾瀬まですっ飛ばしたろうに…と感無量でした。
その翌年くらいに家内と一緒に雪の残った尾瀬沼と尾瀬ヶ原へ。山の鼻からバス停のある鳩待峠まで登り一時間半の道。私には二時間半必要でした。家内は私の顔が苦しそうで見ていられないとのこと。時間さえ掛ければ登れるのだから見るな…とやり返していました。
さて、手術後は如何に。未だ挑戦していませんが、いずれ…。
医師は五年後の生存率は70%とか言っていました。もう3年過ぎて生きているので、今から5年後の生存率は90%位あるかしら。交通事故により死ぬ確率の方が高いかな。
両親をガンで亡くした私の最後は多分ガン。三度目の正直はどこに来るかな。
指揮者の岩城宏之は胃ガン、喉頭ガン、肺ガンで20回以上も手術をやったとか。私はたった2回。まだまだひよっこですね。
前と同じような日記をまた書いちゃいました。喫煙している人への警告状です。何?今時、お茶っ人で煙草を吸っている人などいない? いや私の日記は外部にも公開するように設定しているので…。