年末になると喪中通知が沢山舞い込みます。そろそろ受付終わり。もう年賀状出しちゃうよ。
あれって賀状を出さない言い訳なのか、賀状を受け取りたくないので出さないでくれ…との通知なのかどちらでしょう。賀状を書き出す頃より早く受け取るのが多いから後者なのかしら。
たまに喪中とはしていないで、「私を可愛がってくれた兄が亡くなり、まだ賀状を書く気になれません……のような葉書を頂きます。これで面倒な挨拶文を考える必要がなくなったわい…と云ったようなおきまりパターンのものとは読んだ時の気分が違いますね。
いつも不思議に思います。最愛のペットが死んだので…との通知をまだ受け取ったことがありません。横から見ていると、子や孫は別としても、親兄弟よりは余程慈しんでいるように見える、人~ペット関係はよくあるように思いますが…。
最近は動物病院にもCTスキャナーやMRI検査装置を備えている所も多く、健康保険も効かないのに高価な治療が行われているとか。可愛いペットのためにはお金を惜しまない。しかし何故か喪には服さないようですね。親族の逝去により喪に服するのは悲しくて何も手が着かないかためではなく、社会風習に従わないと格好がつかないからやっているだけ? 本当に悲しい場合に喪に服する習慣は消えたのかもしれませんね。
私の両親が亡くなった時に喪中葉書出したっけと家内に聞いたら、出したわよ、私の父の時は出さなかったけれどね…とのことでした。もう自分では覚えていない。賀状を書くのをサボルために出したのでしょうね、キッと。気分としては喪に服していなかったものと推測します。私は薄情なのかも知れません。
調査;喪に服す…とは、亡くなった人への礼儀として身を慎むことであって、慶事に加わることを避けるだけこと。悲しいからと云うよりも,少なくとも振りだけでも悲しんでみせることが死者への礼と云うことのようですね。特に日本だけの習慣ではないようです。喪に服する期間も格別に決まったものはなくて、勝手に決めりゃあいいそうです。日本で賀状を出すのをサボれる期限は1年位とする例が多いようですね。しかし2年経っても、まだ喪中です…と云ってもも特に問題はないようですが…。死者にタップリ礼を尽くしたと云えるかも。死んだペット相手でも。