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2010年01月25日(月) 
   1月22日足利事件再審で元検事が謝罪しなかった…との新聞記事。私はそれでいいと思っている。

   また元裁判官が過去の自分がやった判決にいちいち弁明などしたらシステムがおかしくなるので、従来から弁明しないことになっており、これは当然だ。裁判官は裁判批判にも黙って耐えることになっている。

   DNA鑑定の結果は検事のみでなく、地裁・高裁・最高裁全判事が信頼したのであって、それに疑問を持たなかったことは自然の成り行くであったと思われる。
 当時の技術でも他人の体液を該当者のものと間違える確率は0.12%だそうだから、信頼性は結構あると今でも私は思う。

   再鑑定が行われた現在の信頼度のデータが見あたらないので新旧の比較はできない。現在のDNA鑑定は4.7兆人に1人を見分けるとの情報もあるが、根拠のあるものなのかどうか。同一人のものを別の人間と判断する誤りと、別の人間のものを同一と判断する誤りの両方の確率がないと何とも云えないのだが。

  その検査方法を評価するには、間違える確率と間違えた時の損害額とを掛けた値を正しい時の利益と正しい確率を掛け合わせた値の比較で行うべきだと私は思う。鑑定が正しい場合の利益とは検査の利用を躊躇したために真犯人を捕り逃す損害に当たると考える。可否判断はなかなか難しいが、上記確率からは結構いい検査だと私は思う。  

   分析技術以外のも気になることが多々ある。
鑑定に付された体液が殺人犯のもであったのかどうかである。

   Wikipediaによれば、再審において弁護側推薦の鑑定人は「不一致部分が多いため同一人物のものではない」とし、検察側推薦の鑑定人は「一致部分が非常に少ないため、同一人物のものではありえないと言っても過言ではない」とする鑑定結果を提出。共に確実な表現ではないようである。東京高裁の嘱託鑑定で「菅家のDNA型と女児の下着に付着した体液の型が一致しない」という結果となった。この記載には確実性の有無を示す評価的記載はない。

   逆に確実性を高める事実として、さらに高検は「捜査中に誤って汗などが付着した可能性」についても検討するため、当時の捜査関係者との比較も行ったが、いずれも不一致となり、「試料が正しく犯人のものであることも明らかとなった」…と記載されている。しかし「」内はあくまで推論である。

   被害者に始めに付着していた体液が殺人犯のもであることの確実性、さらにはその後の下着の保存方法、犯人以外の体液の付着有無(捜査員だけでいいのか)、鑑定時のサンプルの取り違えなどのチェックなくしては確たることは云えない。鑑定時のサンプルの取り違えの確率などは、4兆分の1よりは桁違いに大きいのではないかと私は想像する。勿論それは上記の0.12%の方にも当てはまるだろうが。

   私はDNA鑑定に入る前のどのような事実から菅家さんに容疑を持ったのかの過程を知らないが、もっとも重要証拠と思われている鑑定結果からは彼が犯人とは云えなくなっただけであり、鑑定前の時点に戻っただけである。私の知り得た情報だけからは、彼の容疑が晴れた訳ではない。犯人でないとの実証もない。マスコミも私には判っていない部分には関心はないようであり、私の疑問を明らかにはしてはくれない。

   真実はご本人と、もし別に犯人がいるならその人のみぞ知る…である。   

   上記の如くであり、当時としては自然の成り行きと私には思われ、また菅野さんが犯人ではないと実証(この実証は困難だろうが)された訳ではないので、謝罪する必要はないだろう。彼の「深刻に受け止めている。」で充分だと私は思う。

   元検事はDNA鑑定を信頼したことをさぞかし悔やんでいることだろう。再生されたテープの要旨とやらを新聞でよんでも、それ程には高圧的な表現が加わりそうなものには思えない。

  悔やむ必要はないと思われ、耐えて貰うしかない。



閲覧数1,390 カテゴリ日記 コメント5 投稿日時2010/01/25 00:06
公開範囲外部公開
コメント(5)
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  • 2010/01/25 12:02
    自白に頼りすぎる警察が、物証を積み上げる科学捜査に軸足をかえられるかでしょうね

    痴漢裁判でも冤罪がたくさん出ています。

    今みたいに、キャリア偏重ではダメでしょう
    素晴らしい才能を現場で生かす。
    プロスポーツと同じように管理職よりも高給取りの現場があっても宜しいかと思います。
    次項有
  • 2010/01/25 23:02
    鉛筆コッチさん
    【とっちゃん】さん

    自白はあった方がいいでしょうね。それを元に、多くの実証がが得られます。それをやらずに自白が主体ではイージーゴーイングですね。DNA鑑定なんて、念のための最後の確認くらいであるべきでしょうね。


    検察庁に限らず、専門家の待遇は高くあるべきでしょうね。昔読んだカーネギーの本に社長より高給取りの職工の話しがありました。会社でも検察でもプロは大事にされるべきです。

    痴漢? あれは自白なし、物証なしでもやられているようですね。女性専用車両ができて喜んでいるのは女性よりも男性だと聞いています、これで痴漢に間違えられれずに済む。
    次項有
  • 2010/03/27 15:48
    さん
    お名前:kaine

    はじめまして。
    なんとなく足利事件について調べていたらこのサイトに辿り着きました。
    Wikiの記事も見ています。気になる点があったのでコメントさせて頂きます。


    >当時の技術でも他人の体液を該当者のものと間違える確率は0.12%だそうだから

    とありますが、Wikiでは「別人であっても1.2/1,000の確率でDNA型も血液型も一致する可能性があった」となっています。

     間違える確率が0.12% → 10000回のうち12回は鑑定を誤る
     wikiの記述 → 10000人のうち12人は一致と鑑定される

    上記のように私は解釈しました。
    現在の足利市の人口155,477人に対して、当時の技術だとこのうち186人は一致する、と。

    もし私の解釈違いであればコメント下さるとうれしいです。
    次項有
  • 2010/03/27 18:56
    鉛筆コッチさん
    kaineさん

    コメント有り難うございます。
    桁数を間違えたのか…とヒヤッとしました。

    貴方の解釈で問題ないと思います。

    判断の間違いには2種類あります。
    同じであるものを異なると判断する第1種の過誤と、異なるものを同じと判断する第2種の過誤とがあります。

    「体液を該当者のものと間違える確率」と「別人であっても1.2/1,000の確率でDNA型も血液型も一致する可能性」は共に第2種の過誤を指しています。

    したがって「足利市の人口155,477人に対して、当時の技術だとこのうち186人は一致する」ことになります。

    統計的なデータから、判断する時、第1種の過誤の確率5%もしくは1%、第2種の過誤の確率を10%と設定して決めることが多いです。判断の誤りが重大な結果を及ぼす場合はコストが掛かるが間違いの確率をもっと少なく設定します。

    それにしてもこの危険率が0.12%というのは上記の基準と比較して非常に精度のいい判別手段(測定法)だと云うことになります。ただしDNA鑑定の内容をよく知らないので、いわゆる測定誤差の問題と相違するかも知れません。

    155,477人に対して186人は多いとお考えなのかしら…とも思いますが、私は充分に少ないと考えます。勿論少ないのにこしたことはありませんが。

    ご関心があれば、再度議論を続けてもいいですよ。

    次項有
  • 2010/04/01 19:19
    さん
    お名前:kaine

    返答有難うございます。

    解釈は間違っていないとのことで安心しました。

    私には0.12%が大きく見えていたので引っ掛かるものがあったのかもしれません。

    解説も丁寧に付けて頂いて有難うございました。
    次項有
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