自白に頼りすぎる警察が、物証を積み上げる科学捜査に軸足をかえられるかでしょうね
痴漢裁判でも冤罪がたくさん出ています。
今みたいに、キャリア偏重ではダメでしょう
素晴らしい才能を現場で生かす。
プロスポーツと同じように管理職よりも高給取りの現場があっても宜しいかと思います。
1月22日足利事件再審で元検事が謝罪しなかった…との新聞記事。私はそれでいいと思っている。 また元裁判官が過去の自分がやった判決にいちいち弁明などしたらシステムがおかしくなるので、従来から弁明しないことになっており、これは当然だ。裁判官は裁判批判にも黙って耐えることになっている。 DNA鑑定の結果は検事のみでなく、地裁・高裁・最高裁全判事が信頼したのであって、それに疑問を持たなかったことは自然の成り行くであったと思われる。 当時の技術でも他人の体液を該当者のものと間違える確率は0.12%だそうだから、信頼性は結構あると今でも私は思う。 再鑑定が行われた現在の信頼度のデータが見あたらないので新旧の比較はできない。現在のDNA鑑定は4.7兆人に1人を見分けるとの情報もあるが、根拠のあるものなのかどうか。同一人のものを別の人間と判断する誤りと、別の人間のものを同一と判断する誤りの両方の確率がないと何とも云えないのだが。 その検査方法を評価するには、間違える確率と間違えた時の損害額とを掛けた値を正しい時の利益と正しい確率を掛け合わせた値の比較で行うべきだと私は思う。鑑定が正しい場合の利益とは検査の利用を躊躇したために真犯人を捕り逃す損害に当たると考える。可否判断はなかなか難しいが、上記確率からは結構いい検査だと私は思う。 分析技術以外のも気になることが多々ある。 鑑定に付された体液が殺人犯のもであったのかどうかである。 Wikipediaによれば、再審において弁護側推薦の鑑定人は「不一致部分が多いため同一人物のものではない」とし、検察側推薦の鑑定人は「一致部分が非常に少ないため、同一人物のものではありえないと言っても過言ではない」とする鑑定結果を提出。共に確実な表現ではないようである。東京高裁の嘱託鑑定で「菅家のDNA型と女児の下着に付着した体液の型が一致しない」という結果となった。この記載には確実性の有無を示す評価的記載はない。 逆に確実性を高める事実として、さらに高検は「捜査中に誤って汗などが付着した可能性」についても検討するため、当時の捜査関係者との比較も行ったが、いずれも不一致となり、「試料が正しく犯人のものであることも明らかとなった」…と記載されている。しかし「」内はあくまで推論である。 被害者に始めに付着していた体液が殺人犯のもであることの確実性、さらにはその後の下着の保存方法、犯人以外の体液の付着有無(捜査員だけでいいのか)、鑑定時のサンプルの取り違えなどのチェックなくしては確たることは云えない。鑑定時のサンプルの取り違えの確率などは、4兆分の1よりは桁違いに大きいのではないかと私は想像する。勿論それは上記の0.12%の方にも当てはまるだろうが。 私はDNA鑑定に入る前のどのような事実から菅家さんに容疑を持ったのかの過程を知らないが、もっとも重要証拠と思われている鑑定結果からは彼が犯人とは云えなくなっただけであり、鑑定前の時点に戻っただけである。私の知り得た情報だけからは、彼の容疑が晴れた訳ではない。犯人でないとの実証もない。マスコミも私には判っていない部分には関心はないようであり、私の疑問を明らかにはしてはくれない。 真実はご本人と、もし別に犯人がいるならその人のみぞ知る…である。 上記の如くであり、当時としては自然の成り行きと私には思われ、また菅野さんが犯人ではないと実証(この実証は困難だろうが)された訳ではないので、謝罪する必要はないだろう。彼の「深刻に受け止めている。」で充分だと私は思う。 元検事はDNA鑑定を信頼したことをさぞかし悔やんでいることだろう。再生されたテープの要旨とやらを新聞でよんでも、それ程には高圧的な表現が加わりそうなものには思えない。 悔やむ必要はないと思われ、耐えて貰うしかない。 |