これって難しいんですよね
アフリカ等の途上国でもNGOが医療活動をして、
子供が死ななくなった。
でも、子供は昔のように多く産むから食糧や燃料の薪が無くなり
飢餓地獄になってしまったところも少なくない
一場面だけをとらえた医療行為ってのは、難しすぎますね
高齢者が長生きする程厚生年金や(後期高齢者)健康保険を支えている現役の人たちの負担が増えます。 昔は地方によっては姥捨てなる風習によって負担を減らしていましたが、今は勝手に医療が長生きさせてしまいます。 医療の目的は治療だそうで、とにかく身体の不具合を修理することが目的で、修理後の生活(命)に意味があるかどうかを考えることをしない。食べられなくなると点滴で栄養分を血管に押し込み、それでは栄養が不十分だと胃に孔を開けてどろどろに潰した食べ物を無理矢理に流し込む。老人は苦痛に耐えながら生き続ける…、希望もしないのにいやいや生かされ続けることになる訳です。 国外では認められている国も結構ある安楽死・尊厳死。日本では今はどうなっているのでしょうね。 昔は老衰すると食欲がなくなり飲食しなくなるので、短時間に逝ってしまい、死体は干からびたような感じだったが、最近はいつまでも苦しみながら生き続けて、やっと逝った時の死体はぶよぶよに膨れていて気味が悪いものなのだそうだ。 ある人が云ったように医者の任務は「時に癒やし、しばし苦痛をとり、常に慰める。」ものであってほしいですね。 一時は患者や患者の希望に従って延命手段を停止すると、医師が治療義務を怠った…との理由で刑事事件として医師が訴えられることもよくありましたが、最近は検察庁が出てくることが減ったように思えるのも良い傾向です。医者もあるべき任務を果たしてほしい。 老人は若い人たちを手伝える間は手伝い、その後は自活し、自活が無理になれば僅かの支援で楽しい余生を送り、それ出来なくなれば気持ちよくこの世を去る。老人の有意義な自活や余生のためには当然に医療の支援が要る場合も多いだろうが、気持ちよく世を去ることに対しても医療の出番がある筈だ。無意味な治療を止めて、気持ちよく速やかに逝かせてほしいものだ。 |