先週、ある高僧の般若心経の解説を拝聴する機会がありました。 その中で、「慈悲」の説明に「五感の質屋」というお話をされました。高僧のお話は時間的な余裕もあまりなかったので簡潔に話されましたが、思わず涙が出そうになりました。ウェッブで探したらあちこちにアップされていました。 長すぎるようにも思いますが、上手に縮めるのも面倒なので、コピペします。お茶っ人規定の1000文字以内に収まらないので三部に分けます …………………………… 「娘さんの命は、永くないでしょう」。 その言葉が、心に突き刺さった。 私には、一人娘がいる。 名前は、慶子。今年で10才になる。 妻をある病気で亡くしてから、私一人で育ててきた。 その娘が、突然にお腹をおさえて苦しみだした。 そのまま入院し、さまざまな検査が行われた。 その結果、伝えられた病名は、妻とまったく同じだった。 「ご存じ…だとは思いますが…」 医師は、妻の担当をしてくれた人物だ。 私にとって、二度目の告知だった。 「…この病気は非常に珍しい疾患です。発症から短期間で、全身の組織が慢性的に壊死していきます」 言葉の一つ一つが、死刑宣告のようだった。 「…前にも申し上げました…わけですが…。現在、治療法は存在しません」 そう。そのセリフは、妻のときに、何度も聞いた。 まさか、娘も同じ病気にかかるとは。 しかし、あのころと事情はまったく変わらないのだろうか。 私は思わず聞いた。 「何とか…。何とか助けていただくことはできないでしょうか…?」 自分でも、それが無理だとは分かっていた。 すると医師は、こう話した。 「いえ、ただ…。以前より、この病気については研究が進んでいます。 そのため現代の医学では不可能でも、たとえば5年先…、もしくは10年先でしたら、治療方法が見つかっているかもしれません」 その言葉が、どれだけ信じられるのか。 それでも、私には希望のように感じられた。 「む、娘は…。それまで大丈夫です…よね?」 医師の反応が待ち遠しい。 しかし医師は、こう言った。 「非常に申し上げにくいのですが…」 医師はためらいながら、言葉を続ける。 「あと一年は持たないでしょう」 その言葉が、私の心に突き刺さった。 ◆ 私は病院を出て、街の中を歩いた。 大事な人間を、2回も失わなければいけないのか。 どんな方法でもいい。 どんな手段でもいい。 娘の命を、何より助けたい。 自分の命を引き替えにしたって構わない。 しかしもちろん、そう思っても何の意味もないだろう。 そのとき私が、その店に出会ったのは、必然だったのかもしれない。 「五感の質屋」 看板には、間違いなくそう書いてあった。 ◆ 意味が分からない。 ただ、その看板には、表現できない迫力があった。 私は気がつくと、その戸に手を掛けていた。 「いらっしゃいませ」 中には、およそ質屋とは似つかわしくない女がいた。 黒いドレスを着用し、黒いヒールを履いた、黒髪の女だった。 年齢は20代だろうか。 年の割には、落ちついた立ち振る舞いをしていた。 「質入れをお望みでございますか?」 私はその言葉を聞くと、ハッと我に返った。 「い、いや………。すみません。間違えたようです」 すると、彼女はこう言った。 「あら? お金はご入り用ではありませんか?」 「い、いや、必要ないよ」 金なんて。 金なんてあったって、何の意味もない。 私がほしいのは…。 そんな言葉を、あわてて飲み込む。 私はすぐにそこから立ち去ろうとした。 その瞬間だった。 「じゃあ、お金ではなく、誰かの命なら?」 彼女は突然、そんな言葉を発した。 その言葉に、私の動きが止まる。 「…は? 今、何て?」 「お渡しするのが、誰かの寿命なら? と申しました」 「ど、どういうこと…?」 私は思わず唾を飲み込む。 すると彼女は口を開いた。 「ですからこちらは、お金のかわりに、寿命をお渡しできる質屋でございます」 突然のことに状況が理解できない。 到底、ありえる話とは思えない。 しかし、彼女の言葉には、なんとも言いようのない迫力があった。 私は少しだけ、話を続けてみることにした。 「誰かの、 寿命を延ばす?」 「その通りです」 「そのための代償は? 私の命なのか?」 「いえ…。感覚です」 「感覚? 感覚って何だ?」 彼女は笑いながら、言葉を続ける。 「あなたは、私のことが見えますか?」 「………!? み、見えるよ……? まさか幽霊とかじゃないだろ…?」 「あなたは私の声が聞こえますか?」 「………き、聞こえなかったら、話してない…よね…?」 「あなたは…」 「?」 彼女はそう言いながら、僕の頬をつねってきた。 「いだだだだだっ!」 「この痛みを感じますか?」 「なななな、何すんだ!? 感じるに決まってるだろ!?」 「では最後に、こちらをお食べください」 そして彼女は、小さなガムを取り出した。 「どうぞ?」 女の言葉には迫力がある。 私は、思わずそれを手に取った。 「お食べください?」 しかたなく、それを口に入れる。 「ん………」 「………」 「ん、んがががががっ!」 アンモニアとカブトムシが混ざったような味とニオイだった。 あわてて口からはき出す。 「なななな、何すんださっきから!」 すると彼女は、にこやかに口を開いた。 「このように人には、『五感』がございます。 目 … 視覚 耳 … 聴覚 肌 … 触覚 鼻 … 嗅覚 舌 … 味覚 の5つのことを言います。 すなわちあなたは、その5つとも、持っていらっしゃるわけです」 「………だ、だから何なんだよ!?」 「その『五感』を質入れするかわりに、あなたの望む方を、延命させていただくわけでございます」 「………!?」 言葉の意味が、よく飲み込めない。 「ご、五感を、し、質入れ!?」 「その通りです」 「………って、ナニか!? じゃあたとえば視覚を質に入れたら、目玉を取られてしまうとか!?」 「そんなことはいたしません」 「じゃ、じゃあ…」 「ただ、あなたの感覚そのものの働きを奪うことになります」 「………」 「それが嗅覚なら、今後一生にわたって、ニオイを感じることはできません。 味覚ならば、味を感じることはできません。視覚や聴覚に触覚、すべて同様となります」 「………そ、そんなことが、可能に………」 「可能でございます。あなたから奪うのは、『意志』です。見たい、聞きたい、味わいたい…。 そんな意志を、いただくことになります。その結果、あなたはその感覚を失ってしまうわけです」 「………」 にわかには信じがたい。 しかしその言葉の一つ一つには、何とも言えない真実味があった。 「…一つの感覚ごとに、命と引き替えにできる、と…?」 「はい。そのいただきました意志から、我々の取り分をいただきまして、 残りを望む方の寿命5年分に当てさせていただきます」 「…た、たった5年!? 短くないか!?」 「長く感じるか短く感じるかは、人それぞれですが…」 「…となると、全部の感覚を質入れしたら、25年分、寿命を延ばせるわけか…」 すると女は、静かに首を振った。 「それはできません。と申しますか、オススメいたしません」 「え?」 「お客様は、ヘロンの実験をご存じですか?」 「ヘ、ヘロン?」 「心理学者ヘロンは、被験者の視覚をふさぎ、無意味な機械音だけが流れる部屋に寝かせました。 また同時に、被験者の体に触覚をおさえるカバーをつけました。 すなわち、五感のほとんどを遮断した状態にしたのです」 「………そ、そうしたら………?」 「多くの被験者が、数時間で無意味なうめき声をあげるようになりました。 同時に、幻聴や幻覚が生じた人間もいたようです。 結果、最大でも『48時間以上もった』人間は『いませんでした』」 「………!!」 「全部の感覚を完全に失うことは、それだけ危険なのです。 私もそこまで危ない橋を渡りたくありませんので、質入れは最大でも4つの感覚まで。 すなわち延ばせるのは…」 「最長でも20年か…」 「その通りです」 「………」 ここで、私は聞いてみたいことがあった。 「ちなみに、6つめの感覚は、質入れできるのか?」 「6つめ、というと…?」 「第六感とか」 すると、彼女は答えた。 「10円でございます」 なぜ、突然に円換算。 さらになぜ、そんなに安いのか。 「5感に比べたら、クズでございます」 そんなにも。 「さて、どうされますか?」 彼女はあらためて聞く。 私は、考えた。 もしこの話が本当なら、娘の命をそれだけ延ばしてやることができる。 最長でも20年。 今は10才だから、30才までだ。 でも、もちろん人の一生としては、やはり短いだろう。 それに私が4つもの感覚を失ったら、これから私はどうやって働けばいいのか。 妻がいない今、娘の家族は私だけだ。 私が働けなくなってしまったら、結局は娘だって生きていくことはできないだろう。 この取引が真実だとしても、何の意味があるというのだろう。 「………!!」 しかし、そこで私は、医師の言葉を思い出した。 たとえ5年だけだとしても、延命そのものができるのなら。 あるいはその間に、治療法が見つかるかもしれない。 そうすれば、娘は死ななくて済むのだ。 私の方も、感覚を一つか二つ失うくらいだったら、生活や仕事にも、そんなに致命的ではないだろう。 だったら…。 「どうされますか?」 女は、あらためて問いかける。 私は答えた。 「では、一つの感覚のかわりに、娘の寿命を5年、延ばしてほしい」 彼女は微笑む。 「その言葉、間違いありませんね?」 「間違いはない」 「承りました。では、どの感覚を質入れしてくださいますか?」 私は、考えた。 視覚。聴覚。触覚。嗅覚。味覚。 このうち、最初に失うなら、どれか。 論理的に考えれば、答えは一つしかないだろう。 「視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。どれを質入れしてくださいますか?」 女は聞く。 私は、もう一度考えた。 やはり普通に考えて、まずは「嗅覚」か「味覚」だろう。 もちろんこれらを失うことは痛手だ。 しかし他の3つに比べたら、日常生活での支障は比べものにならない。 嗅覚や味覚がなくても、困るのは食事のときや、何かのニオイをかいだときくらいだろう。 そのときだけ耐えれば、どうとでもなる。 しかし他の感覚がなかったら、24時間にわたって不便に悩まされることになる。 常に人は何かを見ているし、音を聞いている。また衣服でも床でも、必ず何かに触れている。 この感覚がなくなるというのは、かなりの痛手だ。 また視覚・聴覚・触覚ともに、「コミュニケーションの手段になりえる」ということも重要だ。 聴覚があれば、声が聞こえる。 視覚があれば、筆談ができる。 触覚があれば、手に文字を書いてもらって理解もできるだろう。 しかし嗅覚・味覚でコミュニケーションをすることは不可能だ。 もちろん、誰かに何かを嗅がせたり、味わわせたりして、 「塩味がピリッと強ければ怒ってる」 「カレーのにおいは嬉しいサイン」 などと決めることもできるが、さすがに現実的ではないだろう。 いずれにしても、コミュニケーションができる手段は残しておきたいと思うのが当然だ。 となると、まずは「嗅覚」か「味覚」になる。 では、どちらの感覚にするべきか。 嗅覚と味覚、どちらなら失っても構わないか。 ここで私は、ある事実を思い出した。 「味覚」は、「嗅覚なくしては成り立たない」のだ。 カゼで鼻が詰まっていると、食欲は落ちる。 それは、「ニオイ」まで含めて「おいしさ」を感じるからだ。 すなわち、「嗅覚を失って、味覚だけ残しても、結局は味覚そのものまで障害を受ける」のだ。 だったら、味覚だけ失った方が、まだマシだ。 もちろんこれは絶対的な真実ではないかもしれない。 しかし、少なくとも私には、それが正解であると思えた。 私はそこまで考えてから、言った。 「味覚で頼む」 女は私の思考を読み取るかのように、静かに微笑みながら言った。 「承りました。味覚でございますね」 「あぁ。そしてその代わり、私の娘の寿命を延ばしてほしい」 「もちろんでございます。ご息女さまのご寿命、確かに5年、延ばさせていただきます」 「………」 「またご利用のときは、お越し下さい」 なるべくなら、もう二度と利用しないで済みたい。 私はそう思いながら、その質屋を後にした。 |