木にまつわるものは、結構あります。
建物は、解体時よりも建築時によくおきます。
京阪の萱島駅や大阪の道のど真ん中に神木があるのは、
関西じゃ有名です。
京都市内のホテルは、寺跡が多く
某ホテルに関わった職人が、バタバタと変死したってな
噂話は、よくあります。
寺跡、寺内に墓地もありますからね。
お盆は何か月も前に過ぎちゃいましたが、時期後れの話題。 世の中には怪奇現象がよく話題になります。 村はずれにあばら屋があり、みっともないので処分しようとしてそれを請け負った組の関係者に不幸が起こった…というようなことが何度が起こり、取り壊そう…という人がいなくなった…という類のもの。 どの請負者のどの関係者が何時どのような不幸に見舞われたのかの事実関係が確認されていないので、刑事事件ではなく伝承や伝説として収集している限り、格別考え込むべきでもないでしょう。 怪奇現象に出合った…という人が実際にいる場合、これは興味深い。どう解釈するかは兎も角、現象の認識自体は事実だろうから…。 椎名誠の「ぼくがいま、死について思うこと」には著者が経験した怪奇現象が記されています。その一つ。 スコットランドのある島、昔バイキングが相当悪辣なことをしたらしい、そこの深い森の中に荒れた古城が一つ。著者は何かいまわしい感じで近づくことが出来ず、遠くから愛用の、ついさっきまで使っていたライカM3で城の写真を撮ろうとしたが、シャッターがおりなかったそうだ。困りながら城を後にしてしばらくしたらライカM3は元通り動くようになった。 後で近所の人に聞くと、その城は有名なユーレイ城で、夜に行ってユーレイを見た人は必ず死ぬのだそうだ。この話しも単なる見聞であって、事実確認がなされている訳ではない。死ぬ話しは兎も角、シャッターがおりなかったというのは著者自身の経験だから事実だろう。 ユーレイが椎名氏の撮影を妨害する理由も判らない。城の写真が出回っては困ることがあるのか。ユーレイは死後何百年後に世に出たカメラなるものが物の映像を複製する機械であること、著者の今の行動が城の映像を撮ろうとしていることが判るのか。さらにその内の一つのライカM3のシャッターをどうやって動かなくするのか、そのメカニズムが判るのか。 それらがユーレーイの仕業だとしたら、何百年昔この城でバイキングに殺された城の住人はユーレイになってどうしたいのだろう。自分を見た人を殺す? 何のために。自分を殺した者が憎ければその殺人者に取り付いて片っ端から殺せばいいではないか。何百年も経過して当時まだ生まれてもいなかった人々をチョロチョロと殺していくことにどのような意味もしくは目的があるのか私には判らない。 私にはユーレイで説明するよりは、その当たりに毒ガスが出る…とか、妙な電磁波が出て人の感覚を狂わせたり機械を動かなくしたりする…という説明の方が納得出来るので、防毒マスクをかぶったり、電波暗室を担いでいったり…の実験をやりたいね。 そうでないと、死者が自分の死後何百年後の、死者自身が知らない人の行動や生死を制御できることになる。しかも何故か人を幸せにする例はなく、不幸にする話しばかりである。 人によってはどうでもいいことなのでしょうが、自分の死後、自分の意思がまだどこかに残っていて、後世の人の動きを支配する…などのことがあり得るのかどうかは人によっては重要なことです。 この世の行動により死後の世界の行き先(天国と地獄)が左右されたり、先に逝った懐かしい人たちに会えるのかどうか、その人達の顔を認識できる筈もないが、魂同士の触れ合いでそれと判るのか、それらにより多くの人の現世に於けるものの考え方が変わってくる筈です。 お盆…が近づくと霊感スポット探訪というような類の番組が流行ります。遊びとして楽しむだけなら問題なしですが。 このような怪奇スポットが存在を信じるか信じないかは死後の世界の存在を信じるか信じないかの問題だ…と思っています。 椎名誠の「ぼくがいま、死について思うこと」にも怪奇事件の話しが出て来ますが、いわゆる取材で集めたものは話しを聞いただけで事実確認はやられていない。多分彼はユーレイ話しを信じているのでしょうね。死後の世界の存在を信じているようですから。 http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 ![]() |