みなさま、お早うございます。 台風が九州に上陸して、本州へと近づいているようですが、どうかこれ以上の被害が出ませんように。 被害に会われたみなさまにお見舞い申し上げますとともに、みなさまくれぐれもお気を付けください。 先ほど届いたメルマガで紹介されていた、以下のようなコラムを、下記URLから読みました。 【「ソーシャル新人類」の不夜城~10代は何を考えているのか】 ▼宿題はコピペで違法にダウンロード、抵抗を感じない学生たちの理屈 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140707…69455/?mle ![]() この文書を読むと、今の10台の人たちの生活や学び(日常)の中に、ぼくなんかが想像する以上に、ネットを使うという行為が浸透していることが分かります。 ぼくの恩師の浜田寿美男さんが、著書や講演などの中で、よく「自分たちの世代が子どもだったころ(彼は1947年生まれ)と比較して、「今」の子どもたちには(大人たちにとってもなのだろうけれど)、「人の生きる形」が見えにくくなってきているのではないか。」との指摘をなさっています。 というか今の子どもたちの親の世代を超えつつある、日本の高度経済成長の時代の真っただ中に生まれて、いわゆるオイルショックのすこし後に小学生になったぼくなんかの世代でも、とりわけ都市部に暮らしていれば、周りの人・もの・こと・自然などと関わりながら、日々暮らしている生の形というか輪郭みたいなものは、彼などの世代と比較すれば、もうすでに、リアルに感じることが、かなり難しくなっていたのではと今感じています。 いやしかしです。たとえそうだとしても、生まれたときから各種デジタル機器はおろか、パソコンも携帯電話もインターネット環境も当たり前のように日常の中にある、今の10代の人たちの生きているというか育ってきた状況と、ぼくらなんかのそれの間には、やはりかなりの差異があるようには感じてしまいます。 学生時代から「情報化社会」ということばは聞いたり読んだりしてはいましたが、その高度情報化社会がどんなものなのかはよく分かりませんでしたし、20代前半から中半だった90年代前半のぼくにも、なかなか想像さえできませんでした。(当時はまだパソコンも持っていなかったんです。) 日本が本格的な情報化社会の段階に突入したのは、おそらくこの20年くらいのことなのでしょうね。 もしかすると、この情報化社会の進展は、大人はもちろん、子どもたちの「生きる形」や育ちに、ぼくらの想像を遥かに超える影響を、陰に陽に与え続けていくのかもしれませんね。 お子さんをお持ちの方や、子どもの育ちや学びに関する活動やお仕事をなさっている方も、たくさんいらっしゃるかと思いますが、みなさまはいかがお感じでしょうか? |