青色LEDのノーベル賞受賞は目出度い話ですね。 ノーベル賞はすばらしい成果を上げたものに与えられるのではあるが、賞の授与によってその成果の価値が変わる訳ではない。本人も賞を貰うために努力などは普通はしていない。昔、その素晴らしい成果を得るためには努力しているだろうが。 世の中は受賞して初めて昔の成果を讃えるようだ。マスコミには受賞者の行為・成果を評価する能力がないので、発明をした時(20年程前)は小さな記事が出るだけで、ほとんどの読者の目には付かない。ノーベル賞を貰うとマスコミが大騒ぎをするので、多くの人はそこで初めてその成果を知る。(その後の社会への影響を見極めるために評価が遅くなる…との予知能力の不足を示す言い訳はあるだろうが) 一般的にノーベル賞授与後、国内においていくつもの表彰を得ることが多い。表彰選考者には評価能力がないので、ノーベル賞選考メンバーの評価にただ乗りしているわけだ。 私は当時青色LEDに関心を持ったのは、中村修二氏が特許で得た利益の分け前をよこせ…と日亜化学に対して訴訟を起こしたからだ。(日亜化学が秘密保持違反で彼を訴えたからだそうだが。私は当時はそれを知らなかった)。赤崎・天野両氏が提携していた豊田合成と、中村氏が所属していた日亜化学が互いに相手が自社特許を侵害している…と訴訟合戦をやっていたのは知っていたが、私は関心はなかった。 日亜化学には特許奨励金制度がなく、中村氏はボーナスを2万円ほど貰っただけだった…とか。私は自分のことを高く評価することに反発を感じる日本人的な謙譲を尊ぶ心情に捕らわれていて中村氏の行為にいい感情は持っていなかった。 偶然開発機関に配属された者には発明する機会が増えるが、工場などに配属された者にはその機会が少なく不公平だ…と思えたのもその理由の一つ。更にそれによる会社の利益には新製品製造設備への投資の能力、営業部門の能力や努力、既製造製品との技術・用途の近似性、当時の世界の経済環境などにも大きく影響するからだ。また研究・開発部門に配属されながら、会社に寄与できる成果が得られなかった時の給与どう考慮すればいいのか…についての疑問もあった。 第一審の東京地裁では日亜化学の利益を600億円と認定し、中村氏に200億円支払え…との判決を出した。それを知って産業界は仰天したし、それを発端として各社で従業員の職務発明の特許実施による対価の請求訴訟が増大した。 各社は慌てて一斉に特許奨励制度を作成し、実施報償の基準を作成した。 第二審の東京高裁は6億円の和解案を出し、それで妥結した(第一審よりは桁違いに減ったが、しかしそれでも中村氏のノーベル賞の分け前の何倍かにはなるね)。 今、調べると日本の企業が従業員の職務特許発明に支払う特許奨励金(金額は当然に会社の挙げた利益に依存する)の上限は最高額5,000,000円、平均624,588円だそうだ(平成9年)。 http://www.jiii.or.jp/investigation/index.html ![]() 私もこの制度の恩恵を大分受けたので、以前に感じた中村氏へのこだわりは今はもうない。 ノーベル賞を貰って、彼の研究の原点は怒りだ…とマスコミに話しているが、少なくとも青色LEDの開発の頃はそうではない筈だ。彼の怒りは青色LEDの開発の終了後に利益の分け前が少ないことに発している…と思われるからだ。日亜化学におけるテーマの選択の自由度に対する問題も少しあったのかも知れないが。 最近日本では理系に進む若者が減少しつつある…と聞いていますが、今回の受賞がこの傾向を押し止めてくれるといいですね。 . |