今回の台風の被害が皆さんになかったら良いなと思います。 今朝、母から連絡があり、亡き父の残した工場が台風で一部が壊れたとの連絡がありました。「とりあえず、そっち行ってみる。」と答えて、暑さの中で作業ができそうな服をカバンに突っ込んで実家へ向かいました。 工場の入り口の扉が半壊して、扉の上の壁がなくなっていました。 その飛んで行った壁は回収してあったのも幸いして、みてみると修理と補強をすればまだ使えそうwwラッキー! 持ってきた作業用に選んだ服は、インドのサリエリパンツ!と速乾シャツ!サリエルパンツは涼しいし、動きやすいし、どこかニッカポッカにも似ているしww蚊からも守ってくれる優れものww。 近所の人が見たらこのカラフルなサリエルパンツはきっと目立ったはず^^; 凹みや歪みをトントンと叩いて整えて補強して、まずは扉の上のひさしの上に3枚剥がれた壁の1つを持ってハシゴで登って行きながら、「これは気をつけないと下手すると指が切れてしまう。」と思いつつ慎重に慎重に。 アルミ製のハシゴって両手で壊れた壁を運びながらバランスだけで登るのってすぐに揺れるしちょっと難しいと思いながら何とか登れて、工場に残っていた壁と継ぎ目を合わせるとぴったりハマってホッとしました。「使える♪」元の釘よりも少し大きな釘でトントンと15本ほど打ち付けて固定。2枚目も終えた頃、母がやってきて3枚目をハシゴの途中まで運んでくれてかなり助かりました。なんせ運搬が一番手に怪我する可能性が高いですから^^; 3枚の壁を貼り合わせると何事もなかったごとくの出来栄えイエイ! さて、一番厄介な入り口の半壊した扉。端の蝶番になっている通用口の扉と他の扉(4つの扉をジョイントさせる親父オリジナルな扉)との位置がぴったり合わないと扉として機能しない。考えてみればこの工場は僕が幼稚園の入園前にここに引っ越してきて、幼い僕も手伝いながら作った工場。おかげで幼稚園入園前に釘を打つ事やノコギリで木を切ることやナイフやノミで木を削る事を覚えたのでした。柱の木が足の上に落ちて足の指の爪が剥がれてしまった時なんかは、気づいた父が慌てて僕を抱えてトラックに乗せて即、病院に行って足の骨が折れてない事を確認して靴が履けないくらい包帯だらけの足を心配してくれて、大きめの草履を買ってくれたのを思い出したりしました。 その後も、小学校に行っても中学に行っても高校、大学と進みながらこの工場の拡張工事に参加してきました。ものづくりが好きな僕の癖はこれが原点な気がします。父も暇があれば、肩こり解消椅子とかなんか変なものを作っていましたww。 修理するための道具を探す時、独り言で「親父、○○はどこにしまってたっけ。」と呟くと何故か僕はしゃがんで台の下を覗き込んで見つけたり、「□□はどこだっけ。」と呟くと僕の首がくるっと後ろを向いて、そこにあったり、絶対に親父が一緒にいて教えてくれたと思っていますww。気づかなかったけれど、何気に目に入った工具を装着できるベルト。ポケットのない服だからきっと親父が「これも使え。」って目にとめさせてくれたの違いない。「親父、サンキュー!使わせてもらうよ。」 この扉は開ける時4枚の扉の閂(かんぬき)とジョイントを外して開けるのですが、閉める時はジョイントを止めて四角い立方体の閂も一つの面が手前に来るようにしなければ止まらない微妙な扉。 右端だけ通用口としていつでも外せる構造ながら、これに閂を通せる精度を戻すのは無理かと思いながら、トンテンカンテン補強修繕をして1枚目、2枚目、3枚目まではめて閂を通すと運よく通り、最後の通用口の扉の取り付けが一番面倒。とりあえず釘2本だけで適当に仮止めしてみたけれど、案の定、閂は通らない。失敗!メジャー、水平尺、直定規、色々使って位置を決めてもこの重さを支えながら釘を打つのは不可能。作った時、僕が扉を支えて親父が釘打ってたもん。僕一人では無理ってもんだ。「親父、これ一人じゃ無理って思うよね。どうしようか。」って呟くと、再び母が登場。親父が母を連れてきてくれたに違いない♪。支えに木を削って高さは維持できるように噛ませて、倒れないようにだけ母に支えてもらってとりあえず釘一本打って固定して、もう一本釘を打ち付けて閂を通すと、very good♪。更に釘を5本打って完全固定。しかし、閂以外のジョイント部分が何故か高さが合わず、ドリルで穴をあけて付け直して、、、でけた!(閂が通ったのに高さが合わない矛盾は今尚謎) 「親父、できたぜ。これで良いか?」と呟いた。 母が、リック(母の飼っている可愛いトイプードル君)の散歩に行って帰ってきたら「お向かいさん(大工さん)が、こんなに早くこんなに綺麗に直せるって、さすが親父さんの息子だと褒めてたよ。」って。お向かいさんを通じて親父が答えてくれたと信じている僕でした。 ああ、全く、こんな技術も音楽も、みんな僕の基礎は親父が教えてくれたもの。生きている時に、もっと親父に親孝行したかったと思わずにはいられない。もうすぐお盆だから、帰ってきてくれるのを楽しみにしています。 台風の後は、生前、親父はいつも壊れたところがあれば修理をして、壊れなかった時は気になるところを補強していたいのを思いまします。今回の台風の傷跡は、僕にとっては親父との対話ができたような嬉しい時間でした。 |