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2019年01月28日(月) 

 

 

(略)

>ここで「東洋思想とはどのようなものか」をきちんと定義し、解説しておきましょう。>私の言う東洋思想とは「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の五つの思想を指しています。>日本に八世紀以上存在し、精神性や風土に根づき、息づくことで、私たち日本人の暮らしの根源となっている「知的資源」と呼べるものです。

 

道教は中国、神道は日本でしょうね。東洋とは、トルコ以東のアジヤ諸国の総称ですか。

 

>これら東洋思想に共通する特性を、近代西洋思想と対比すると、両者がいかに「相補い合う関係」にあるのかがはっきりと見えてきます。

 

それほどハッキリしているでしょうかね。相補う関係は、わが国内に限ったことではありませんか。

 

>西洋は「外側にある(すなわち、誰もが見ることができる)真理に迫っていく」という真理探究方式を採る一方、東洋では「自分の中にある仏性、神的性に迫っていく」という真理探究の方式を採ります。

 

現実は、頭の外にある。その内容は見ることができる。一方、非現実 (考え) は、頭の中にある。これは、見ることができない。目で見ることができる内容は、’本当のこと’ である。見ることのできないものは、’嘘’ である。

 

>西洋思想では、どちらかと言えば「外側」に関心の中心が置かれ、「誰でも理解できること」「普遍性」を重視し、モジュール化に適しています。

 

西洋思想は、非現実 (考え) であり文章内容であります。その内容は見ることができません。ですから、理解しなければわからない。外側しかわからない日本人たちには理解が難しい。

 

>反対に、東洋思想では「自分の心の中」に関心が向けられます。

 

日本人は、非言語の事柄に関心がありますね。非言語の内容は、文書を理解する方法ではどうにもならないでしょう。

 

>自己の内なる仏や神に気づくこと、自己の仏性、神的に目覚めることを重視します。>それだけ精神性に富んでいるということです。

 

日本人は、忖度 (推察) の内容を重視しているのですね。精神 (非言語) の内容は、誰にも理解不能です。

 

>西洋…外側にある対象に向かう

 

日本人の西洋観は、外側にあるもののみを対象としています。西洋人の内側にあるものは文章内容ですから、日本人に一切無視されています。

 

>東洋…内側にある対象に向かう

 

日本は高文脈の文化 (high context culture) ですから、文章内容で考えを表すことはできません。ですから、日本人は、相変わらずの無哲学・能天気であります。

 

>このように、まさに正反対だからこそ相補の関係に成り得るのです。

 

言語と非言語は補完関係になりますかね。なるとすれば、それは、高文脈文化の中でのみ成り立つのでしょうね。世界の大勢は低文脈文化ですから、西洋・日本の相補関係は難しいでしょうね。

 

>180年前の幕末の思想家佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸(技術)」という言葉で、両者を対比し、その特性の違いを見事に表現しました。>東洋は『精神』領域に長けているので、そこに資する知見を提供すべきであり、西洋は『技術』において一日の長がある。

 

わが国の ‘精神’ は ‘非言語’ と置き換えることができるのではないでしょうか。西洋の技術は、言語に基づく技術でしょう。言語に基づく内容は伝搬が比較的容易です。わが国の技術は言語に基づかないので、世界への伝搬が非常に難しいのではないでしょうか。

 

>佐久間象山は「両者の得意分野を融合して使うべきだ」と言っているのです。>まさに「西洋と東洋の知の融合」です。

 

言語と非言語の知識の融合は、易しいものではないでしょうね。「西洋と東洋の知の融合」は、日本人向きでしょうね。

 

>『なぜ今、世界のビジネスリーダーは東洋思想を学ぶのか 史上最高のビジネス教養「老子」「論語」「禅」で激変する時代を生き残れ』文響社 >田口氏は本書の中でこう語る。

 

日本人は、’老子’、’論語’、’禅’ の書物を忖度 (推察) の手助けとして利用しているのではないでしょうか。もしもそうであれば、低文脈文化 (欧米) の人々には、役立たないでしょうね。

 

>『今、世の中では盛んに「イノベーションが必要だ」と叫ばれています。>では、どんな人からイノベーティブなアイデアは生まれてくるのでしょうか。>誤解を恐れずに言えば、それは「楽しんでいる人」であり、「遊び半分の人」であり、「無駄なことをしている人」です。』

 

改善は、人生を楽しんでいる人から生まれるのですね。無哲学・能天気な日本の大学生と違いますか。楽しみに反対ではありませんが、建設的なことも必要ではありませんか。

 

>それを表す言葉が老子にあるという。>『《有を以て利を為すは、無を以て用を為せばなり》>目先の利益で有用・無用を決めつけてはいけない。>今は無用に思えても、先々で必要になることもある。>何の役にも立っていないようでも、見えないところで大事な役割を果たしているものもある。

 

それは、そうですね。

 

>「無用の用」ということをよく考えなければいけない』>「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語が、「無門関」の第一則にある。>山田無文老師は真の「遊戯三昧」の境地をこう教えている。>「働くことがそのまま遊びなんです。人のためにすることがそのまま遊びなんです。苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」

 

これでは、人間は他の動物たちと同じですかね。新しい形の未来社会の建設を楽しみにする必要があるのではないでしょうか。

 

>『人生最大の幸福は「職業の道楽化」にある』と言ったのは本田静六氏。>職業の芸術化であり、趣味化であり、ゲーム化であり、スポーツ化である。>東洋思想を更に深く学びたい。 

 

非言語の文化ですね。芸術家の生涯ですかね。

 

 

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閲覧数70 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/01/28 10:56
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