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2020年01月27日(月) 

 

 

 

>男と女の職場話 19/06/22 PM09 【印刷用へ】  >こんばんは☆ >先日の実現塾で、西欧科学のどこが狂っているかという事例として、「作りっぱなしで、無責任である」こと、例えば、 >・便利だといってプラスチック作りました。>→でも今環境破壊を引き起こしています。

 

悪いところがあれば我々利用者の側で改めればよいでしょう。

 

>・効率的だと言って原発作りました。>→放射能汚染廃棄物をどうするの?を誰一人考えていませんでした。

 

悪いところがあれば我々利用者の側で改めればよいでしょう。

 

> 等が挙がったのですが、それに対し「科学は中立だから、科学に責任はない」との反論が世の中にはあるということを知りました。

 

そうですね。科学には意思がない。だから、科学には責任がない。だが、我々には意思がある。意思のあるところには方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だから、人間が現実の内容を改めればよいでしょう。

ところが日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

科学には意思がない。だから、科学には責任がない。日本人にも意思がない。だから、日本人にも責任がない。とかく、この世は無責任。仕方がないから、日本人は無為無策でいる。思考停止の状態でありながら閉塞感を伴っている。これが ‘日本の問題’  (The Japan Problem) である。

 

>へ? >なんじゃそりゃ?と思ったので、調べてみると、原発推進派の方の衝撃の発言が・・・ >続きはこちら♪⇒リンク             

 > 少なくとも日本では、半世紀、死者を出すような事故はないんですから、逆に考えて『これほど安全なものはない。航空機よりもっと安全だ』ということになる。〈『原発に集ってきた人々』(吉田矩彦著)、19p〉 と言っていたというかことだが、吉本は続けて、 それから科学技術は、それが危険であろうとなかろうと、中立であり、そこに政治性が入る余地がないわけです。

 

そうですね。科学自体には政治性はありませんね。政治家は、科学技術をただ利用するだけですね。日本の政治家にも意思がない。だから、責任もない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) があるので、これにより指導する。意思は文章になるので意味があるが、恣意はバラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在するので意味がない。だから、恣意の政治家は説明責任が取れない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。だから、危険千万である。

科学に関する考えは、科学哲学になります。政治に関する考えは、政治哲学になりますね。原発は政治家により建設されました。科学と政治は混ぜて論ずるわけにはいけませんね。

 

>科学技術をよく知っているか、どうかの差はあっても政治的見識見解が原子力についての考え方を分けてしまうのはおかしいので、科学技術は政治的に中立だということは非常にはっきりしなければと思うんです。〈同19p~〉と述べていたということを、吉田矩彦氏は教えてくれる。

 

科学技術の内容には政治的な内容は関係ありませんね。分けて考える必要があります。

 

>そこで私は、なんだこの吉本の論理はと訝ってしまう。>「科学技術は、それが危険であろうとなかろうと、中立であり、そこに政治性が入る余地がないわけです」という論理はおかしいだろうと。

 

そうですね。科学技術が原発を出現させるわけではありませんね。政治家が科学技術を利用して原発を建設しているわけですね。だから、原発には政治性が大ありですね。まさに政治そのものです。

 

>百歩譲って「科学技術は、それが危険であろうとなかろうと、中立であり」までは是としても、「そこに政治性が入る余地がないわけです」という理屈が私にはわからないし、入る余地があるはずだと思うからだ。

 

そうですね。放射能は危険ですね。放射能の発見者キューリー夫人はそれがもとで白血病になり死にました。原発は政治家の努力により政治的に建設されているものです。政治が無くては原発の建設はあり得ないものです

 

> それ故にだろう、吉田氏が、 しかし、扱う人間は中立ではない。

 

そうですね。建設する人は賛成派の政治家ですね。

 

>吉本は「問題は恐怖心や倫理性の組織化だ」と言うが、吉本が原発についての恐怖心を持たないのは、ただ鈍感だからだということになる。 〈同20p〉と鋭く反論していることは尤もなことだ、と私も思った。

 

‘めくら蛇に怖じず’ ですね。倫理に関する考えは、倫理哲学になる。取り返しのつかない災害を引き起こす原発にエネルギー源を求めるのは浅はかな考えですね。政治哲学には倫理性も必要ですね。倫理無き政治の遂行であっては幸福にはなれません。

 

>吉田氏の反論の論理の方がはるかに吉本の論理より説得力がある。

 

そうですね。政治哲学と科学哲学を混ぜて論ずるのは間違いですね。科学は学会で、政治は議会で論じて決着すべき内容ですね。

 

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閲覧数482 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/01/27 16:31
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