>日刊スポーツ >小沢一郎氏、「やればやるほどボロがでる」総再選を酷評「次の選挙でさらに大敗するのでは」 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >1時間 >立憲民主党の小沢一郎衆院議員が29日までにX(旧ツイッター)を更新。 >自民党総裁選について「派手にやればやるほど各候補のボロやらスキャンダルが出てきて、皆、呆れている」と酷評した。
そうですね。無哲学・能天気の候補者たちはボロやスキャンダルを出すばかりですね。大きな話が出ない。世界観を持っていないからでしょうね。
>連日ニュースを賑わせている自民党総裁選だが、小沢氏は「自民党が今回の総裁選で狙っているのは、メディアジャックのお祭り騒ぎで支持率を上げ、あわよくば新総裁の下で解散総選挙をやって勝つということ」と、自民党の裏の狙いを考察した。
そうですね。小手先の戦術の考察が進んでいますね。わが国に大きな政治問題は存在しないようですね。大きな政治家がいないからですかね。
>しかし、高市早苗前経済安保相の「外国人鹿蹴り上げ発言」や「外国人、通訳間に合わず不起訴発言」、小泉進次郎農相陣営のステマ問題など次々に話題が浮上している。
そうですね。政治家は本当に忙しいですね。
>小沢氏は「だが、現実は、派手にやればやるほど各候補のボロやらスキャンダルが出てきて、皆、呆れている」と指摘。
小沢氏は高みの見物ですね。自民党総裁に成れないからですかね。
>「自民党は次の選挙では更に大敗するのではないか?」とつづった。
小沢氏は他党のことは良くわかるようですね。自分の主張の方はどうなっているのですか。そちらの心配はないですか。あなたは外国人の立場の様な国会議員ですね。暢気ですね。沈み行く日本の政治家にふさわしい国会議員ですね。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
‘これは矛盾している’ 外人が指摘すれば、’矛盾している’ と日本人は同意する。だが、’矛盾の原因は何であるか’ とか、’矛盾があれば改める’とか言った態度にまではわが国民は進まない。日本人は思考を停止しているから、どうにもならないのである。だから、現実肯定主義になっている。それが、日本人の浅はかなところである。これがただ今行われている日本人の脳足りん生活である。 英米流の高等教育の目的は個人が考え (非現実) の内容を生み出すためにある。その考えの内容は文になり、論文として公表される。日本語は ‘写生画の言葉’ ともいわれ、現実ばかりで非現実の内容を示さない。だから、わが国の英米流高等教育の成果は上がらない。わが国の高等教育は使用言語を英語に改める必要がある。
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