>毎日新聞 >林芳正氏、靖国神社のA級戦犯分祀論に言及 自民総裁選 >毎日新聞によるストーリー・ >5時間 > 自民党総裁選(10月4日投開票)に立候補した林芳正官房長官は28日のフジテレビ番組で、靖国神社に合祀(ごうし)されている第二次世界大戦のA級戦犯の分祀に言及した。 >林氏は中曽根康弘元首相らが過去に取り組んだとして「皇室の皆さん含めて、わだかまりなく手を合わせることができる環境をつくるのは政治の責任の一つだ」と語った。
そうですね。
> 総裁選に立候補した5氏が番組に出演。 >茂木敏充前幹事長も靖国神社参拝について「天皇陛下が手を合わせることができない、こういう状況を変えていかなければいけない」と同調した。 > 一方、これまで靖国神社への参拝を続けてきた高市早苗前経済安全保障担当相は「靖国神社は戦没者慰霊の中心的な施設であり、平和を祈るお社だ」と強調。
参拝は供養ですね。 我が国の戦死者は祖国を守る勇気を讃えられるべきですね。 総理が宗教家に戦死者の追悼を丸投げするのは良くない方法ですね。 我が国の総理は自己の責任で我が国の戦死者の追悼を行うべきですね。
>B・C級戦犯を含めて「刑が執行された段階で日本国内ではもう罪人ではない」とした。
日本人には意思がない。意思のない人間には加害者意識がない。罪の意識もない。深く反省することもない。相手に対する謝罪もなく、相手から信頼されることもない。恨みのたまった世の中で暮らしている。
>小林鷹之元経済安保担当相と小泉進次郎農相は首相就任後の参拝を「適切に判断したい」と述べるにとどめた。
それは日和見ですね。我が国の総理は自己の責任で我が国の戦死者の追悼を行うべきですね。
>【小田中大】
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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