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2025年09月27日(土) 

 

>スポニチアネックス   >「総理大臣見指す人の話じゃない」立民幹事長が自民総裁選チクリ「尖った部分ないと盛り上がらない」   >スポーツニッポン新聞社の意見・   >5時間・   

> 立憲民主党の安住淳幹事長(63)が24日放送のTBS「news23」(月~木曜後11・00、金曜後11・58)のインタビューに応え、自民党総裁選についてコメントした。   

> 小林鷹之元経済安全保障担当相、茂木敏充前官房長官、林芳正官房長官、高市早苗前経済安保担当相、小泉進次郎農相の5氏が立候補している総裁選について「激しい論戦というか、党の行く道をどうするのかっていうことをやるのかと思っていたら、危機的な状況にもかかわらず静かな総裁選挙」と評した安住氏。   

 

そうですね。その日暮らしの感がありますね。考えの内容は一人一人違っているでしょうがそれは公表されませんでしたね。      

 

> 前回総裁選では「小泉さんは“選択的夫婦別姓は一丁目一番地”と言った。   

>高市先生は保守主義を前面に打ち出した」が、今回は「みんな自分たちの主張を取り下げて自分の家に置いてきたんですね。   

>行儀のいい話ばかりして」という印象を受けるという。   

 

そうですね。他人のことは心配になりますね。この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。政治には時代の先取りが必要ですね。遠い未来を見据えて国民を導く政治指導者が必要です。そうでなければ国は迷走する。            

 

>「もう少し、自分が総理になったらどうするという尖った部分がないと盛り上がらないし国民の関心が上がってこないのではないか」と“安全策”の候補ばかりであると指摘した。   

 

そうですね。夢と希望のある政策を語れば、政権が野党に回るかもしれない時なのに、それもないですね。野党は歌詠みに徹しているのでしょうかね。気分・雰囲気・感情には意味がない。だから議論にならない。         

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数6 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/09/27 04:28
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